フィットネスクラブを運営するRIZAP(ライザップ)グループの関係者が4日、ニッカンスポーツコムの取材に応じ、J1湘南ベルマーレを傘下に収めるべく、水面下で動いている事実を認めた。

 現在、湘南に33%出資する筆頭株主の三栄建築設計と、湘南を運営するための合弁会社を立ち上げる協議を行っているという。同関係者は「出資比率、役員の割合をどうするかを含め、協議は最終段階に入っています」とし、6日午後、都内で開く予定の会見で、その時点までに決まった方針を発表する方向だという。

 また傘下に収めるメリットについて、関係者はライザップがゴルフ大会の冠スポンサーになったり、スポーツ専門店の買収は行ってきたものの、プロスポーツ組織の運営には携わったことがなく、大きなビジネスチャンスになると判断したと説明。「湘南さんの育成型、地域密着のクラブ運営と、ボディーメークのトレーナーが顧客に寄り添い、結果にコミットするという弊社のスタイルがリンクするという部分が大きかったと思います」とも語った。

 今回の件は昨年、湘南からライザップの瀬戸健社長に持ち掛けられた話だという。J2だった12年に曹貴裁監督(49)が監督に就任して以降、J1に3度昇格しながら2度、J2への降格を余儀なくされた。その背景には、16年度の決算でJ1全18チーム中、下から2番目の営業収益16億2700万円という年間予算の少なさから、主力選手の引き抜きに遭っても引き留められない現状があった。J2に降格すれば集客は落ち、経営基盤は安定せず、フロント陣は例年、スポンサーの獲得に奔走してきた。

 湘南は68年に、藤和不動産サッカー部として創部し、栃木県社会人4部からスタートした。その後、藤和不動産サッカー部の親会社フジタ工業(現フジタ)サッカー部として日本サッカーリーグを戦い3回、天皇杯2回優勝を果たし、94年にはベルマーレ平塚としてJリーグに参入。同年に天皇杯、翌95年にアジア・カップウィナーズ杯(現アジア・チャンピオンズリーグ)を制した。

 98年にはFW呂比須ワグナー、MF中田英寿、GK小島伸幸が日本代表、DF洪明甫が韓国代表としてW杯フランス大会に出場したが、フジタは同年に経営危機に陥り銀行の管理下に置かれ、翌99年6月に経営からの撤退を表明。フジタが過去の損失金や赤字を背負った上でベルマーレ平塚を清算し、一部、出資金を残したことで市民クラブ・湘南ベルマーレとして再出発できたものの、経営は決して楽ではなく、反町康治監督(現松本山雅監督)が率いた09年に3位で昇格を決めるまで、J1に復帰できない時代が10年も続いた。

 藤和不動産サッカー部創部から数えて50年。湘南はフジタ撤退以来の親会社を持つことで、目標のJ1定着、その先のステージへの進化に前進しようとしている。