喜怒哀楽を爆発させましょう-。27年目のJリーグが幕を開けた。昨年はイニエスタら世界の大物が加入。日本代表のワールドカップ(W杯)ロシア大会の16強進出に鹿島のACL制覇もあり、入場者数は4年連続で1000万人を突破した。ビジネス界出身ながら世界水準のリーグを目指して3期6年目の村井満チェアマン(59)が、日刊スポーツに「無手勝流(むてかつりゅう)」と題したコラムを執筆。

      ◇       ◇

4月5日、明治安田生命が15年にJリーグとのタイトルパートナー契約を締結して以来、累計で100万人を超えるお客様をスタジアムにお連れいただいたとの報道発表がありました。明治安田生命はJリーグとのタイトルパートナー契約以外にもJ1、J2、J3全55クラブと個別にスポンサー契約を締結してくれています。それは、スポーツ団体と協賛企業との関係性において、世界にも類を見ない極めてまれなケースでしょう。

私がチェアマンに就任した14年、Jリーグは明治安田生命との縁を持ちました。先方は「今までJリーグを支えていただいたパートナー各社をさしおいて、J1、J2のタイトルパートナーになるわけにはいきません」とおっしゃって、開幕したばかりで存続さえも危ぶまれるJ3のタイトルパートナーとなっていただいたのです。

14年の開幕時期といえば、サッカー界の外部から着任した私にとっては、まさに右も左も分からない状況でした。当然のことですが、クラブを訪問しても受付に立つ私に誰も気が付かない。Jリーグのオフィスに出社しても、誰が従業員で誰が外部の方なのかも分からない、まるで迷子になった気分です。そんなタイミングでの開幕第2節に埼玉スタジアムで差別的横断幕が掲げられ、私は次の浦和レッズのホームゲーム、清水エスパルス戦を「無観客試合」にすると裁定しました。春休みの浦和戦を楽しみにしていた清水エスパルスのファンやサポーターからは「宿や新幹線の手配も済ませているのに、なぜ何も悪くない私たちの楽しみを奪うのか」といった投書やクレームを数多くいただきました。もっともな意見です。

6月にはブラジルW杯が開幕し、日本は1勝もできずに予選敗退しました。「日本サッカーをどのように立て直すのか?」と数多くの関係者から問い詰められるのですがなかなか先が見通せず、苦しい時期でした。そんな頃、休暇をとって家内と根室へ旅行することにしました。「Jリーグという言葉が出てこない所に行こう」そんな単純な理由です。気分転換に出かけた根室の理髪店の近くに明治安田生命の看板が目に入りました。根室出張所です。全国隅々まで地道なサービスを展開しているその姿勢に、心が震えました。この北海道旅行を機に私と明治安田生命との縁は深くなっていくのです。

15年から「明治安田生命Jリーグ」としてすべてのリーグ戦を支えていただく関係になりました。しかし、その後は、多くの変遷をともにすることになります。15年から始まった「2ステージ制・チャンピオンシップ」を私は2年で終える決断をすることになります。アジアチャンピオンズリーグの日程変更などもあり、2ステージ制の存続は困難と考えていたのです。一方で両ステージの覇者が争うチャンピオンシップの決勝は、Jリーグにとって11年ぶりとなるゴールデンタイムでの地上波生中継が行われていました。その露出機会は明治安田生命にとっても貴重なものであったはずです。私は、自分の思いを明治安田生命に伝えると「Jリーグの発展にとって必要な判断であればどのような決断でもJリーグについていきます」と言ってくれたのです。私は迷わず「2ステージ制廃止」の判断を貫くことができたのです。

平成から令和に変わっても、本格的な高齢化や人口減少が進み、ますます人と地域社会のつながり方の重要性が増していくように思います。居場所のある社会は優しい社会です。全国39都道府県にわたってJリーグはそこにあります。明治安田生命とスタジアムを訪れた方々には数々のドラマがあったとお聞きしています。いたるところで親子の絆や地域との縁が紡がれているのです。試合観戦後に明治安田生命の根岸社長と一杯飲んで試合を振り返ることもあります。それはサポーターの飲み会とまるで同じ、気さくな風景です。

現在、明治安田生命は「健活プロジェクト」と称して全国のJクラブと連携したウオーキングイベントを計画してくれています。人々の健康と地域社会の活力を本気で願い、行動に移してくれているのです。もう、サッカー観戦の枠を超え、その輪はスタジアムの外まで広がっています。クラブのスタッフや選手、地域の皆さんと四季を感じながらホームタウンを歩くのは何にもかえがたい、ぜいたくな時間です。

◆村井満(むらい・みつる)1959年(昭34)8月2日、埼玉・川越市生まれ。浦和高サッカー部ではGK。早大法学部卒業後、83年にリクルートセンター(現リクルートホールディングス)入社。00年に同社人事担当執行役員に就任。その後、リクルートグループ各社の社長を歴任した。08年7月にJリーグ理事就任。14年1月に第5代チェアマンに就任し、現在は3期6年目。家族は夫人と1男1女。