ジュビロ磐田が11日、元日本代表MF中村俊輔(41)のJ2横浜FCへの完全移籍を発表した。

この日、チームメートにあいさつを済ませた中村は、静岡・磐田市内で取材に対応。自らの口で移籍決断に至った理由を明かした。今季は負傷の影響もあってリーグ戦2試合の出場にとどまり、無得点だった。横浜FCでの背番号は46に決まった。J2でのプレーは初めてとなる。

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「プロ」としての決断だった。移籍の理由を問われた中村は「チームが苦しい時に申し訳ない」とした上で「練習や練習試合で良いプレーができていても、起用してもらえない時期があった。もちろん、それだけで『次』という訳ではないけど、プロ。少しずつ気持ちが傾いた」と明かした。今季の出場は2試合。負傷離脱を除いても、ベンチが続く時期があった。残されたキャリアも長くはない。ピッチに立つことにこだわり、心を決めた。

加入1年目の17年は30試合5得点を記録し、6位躍進の原動力となった。一方で18年以降は負傷も重なり、満足のいくプレーはできなかった。在籍した約2年半を振り返り「プレー時間が短く迷惑をかけた。もっと結果を出したかったし、出せる時もあった。名波さんがいたからこそ来たので申し訳ない」。真っ先にクラブへの謝罪を口にした。

新天地では尊敬するカズとの共演が待つ。19歳で日本代表に初招集された際「普通にプレーすれば十分通用する」と掛けられた一言で緊張がほぐれた。その後、世界が認めるファンタジスタへと成長。「自分を向上させてくれる監督や選手とやりたいと思っていた。(カズは)その1人。グラウンドにカズさんがいれば、勝手にアドレナリンも出る」と胸を躍らせた。

現在は痛みを抱える内転筋のリハビリ中だが、8月14日に控える古巣横浜との天皇杯3回戦へも意欲を見せた。「1番やりたくない相手。でも、出たら横浜FCのために100%の力で勝利のためにやるだけ」と力を込めた。自身2度目の国内移籍を選んだ希代のレフティー。地元横浜で再び輝きを取り戻す。【前田和哉】

◆中村俊輔◆ なかむら・しゅんすけ。1978年(昭53)6月24日、神奈川県横浜市生まれ。横浜ジュニアユース、桐光学園高を経て97年に横浜M(現横浜)に入団。02年にレジーナに移籍。05年からセルティックでプレー。その後、エスパニョールを経て、10年に横浜復帰。17年から磐田。J1通算386試合73得点。178センチ、71キロ