クラブ一筋18年のバンディエラが、たくさんの感謝とともにサポーターへ別れを告げた。川崎フロンターレ・MF中村憲剛(40)が21日、ホーム等々力で引退セレモニーを行った。現役生活を支えた多くのゲストが見守る、川崎Fらしいアットホームで温かなセレモニー。まだ天皇杯のタイトルを残すが、Jリーグをけん引したレジェンドがひとつの節目を迎えた。

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中村の表情を崩したのは、小学6年生の愛息、龍剛(りゅうご)くんからの手紙だった。父のサッカー人生に憧れてきたこと。自身が生まれた2日後の試合でFKを決めた写真を、毎年誕生日に見せてくれること。昨年前十字靱帯(じんたい)を損傷したときは高熱を出すほどショックだったけれど、父は前向きにリハビリをしてくれていたこと-。「中村憲剛選手の18年間のサッカー人生は、出来すぎでした」。丁寧な言葉でたくさんの思いが込められた手紙に、中村は真っ赤な目から流れる涙を拭い、天を仰いだ。

セレモニーはホーム最終戦後に行われることが多いが、クラブは中村へ花道を設けるべく、独立したイベントとして開催した。1万3000席のチケットは完売。恩師やOBをはじめ、たくさんのゲストが祝福に訪れた。地元の消防署員や、多摩川清掃活動でお世話になった方。算数ドリルを一緒に作った小学校の先生など、地域のイベントでタッグを組んできた人たち。震災以降毎年交流を続けてきた陸前高田の子どもたちは、立派に成長していた。中村は「Jリーガーはいい車に乗っていいものを買って、サッカーをすればいいと、入る前はそう思っていた。けど、このクラブに入ってそうじゃないことに気づかせてもらいました。それは地域密着です」と感謝を述べた。18年間の現役生活を凝縮したようなセレモニーになった。

少年少女たちへメッセージも残した。高校入学時の身長は154センチ。「今もきゃしゃで強くないけれど、40歳までプレーできた。体の小ささとか、身体能力の低さはハンディじゃない」と、キャリアをもって証明してみせた。ビデオメッセージを寄せたFWカズや、スピーチしたOBの岡山一成氏は、監督としての中村への期待を口にした。ユニホームを脱いでも、中村憲剛という希代の才能は日本サッカー界で輝き続ける。【杉山理紗】

◆中村憲剛(なかむら・けんご)1980年(昭55)10月31日、東京都小平市生まれ。久留米高(現・東久留米総合高)から中大を経て、03年に川崎F入り。Jリーグベストイレブン受賞8度。06年に日本代表に初選出され、10年ワールドカップ南アフリカ大会に日本代表として出場した。国際Aマッチ通算68試合6得点。175センチ、66キロ。家族は夫人と1男2女。好きな言葉は「感謝感激感動」。血液型O。

 

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