肝不全のため、76歳で亡くなった高校サッカー界の名将、小嶺忠敏(こみね・ただとし)さん(長崎総合科学大付監督)の通夜が8日、長崎県南島原市深江町丁の「南高葬儀社 寳玉殿」で行われた。

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国見高を全国高校選手権で6度の優勝に導いた小嶺さん。この日は、元日本代表FW大久保嘉人氏(39)や、J3相模原の高木琢也監督(54)J3北九州の小林伸二スポーツダイレクター(61)らも駆けつけた。告別式は9日正午から同所で。喪主は妻厚子(あつこ)さん。

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高校サッカーに人生をささげた「伝説の名将」と、教え子らも最後の別れ。大久保氏は大阪でテレビの仕事を終え、午後8時前に駆けつけた。通夜に参列後、悲しみをこらえながらも気丈に取材に応じた。

大久保氏によると、今年の元日に面会に来たが、病院に入れず、断念したことがあったという。9日の葬儀・告別式も仕事で出席できないため、通夜出席を決めたと明かした。

「約1、2年ぶりかな」と振り返った最後の対面。小嶺さんの顔を見て「今にも起き上がって来るんじゃないかと思った」と語った。天国へ旅立った恩師へ「(天国から)見守ってくれると思う。自分はここで先生の教えが終わったわけでもないし。自分の中では一生続くものなんで。元気でやってるとこを見せたい」と言い、今後の人生の糧にしていく覚悟を示した。

この日の通夜は、厚子夫人が喪主を務め、午後7時開始だった。ただ、大勢の弔問が予想されたため、受付は予定を早めて同5時半としたが、結局は同4時ごろから弔問客が絶えず続き、1500人が訪れた。

祭壇に掲げられた遺影は、関係者によると、50代ごろの写真で、熱心に指導する姿が写されていた。

場内には、J1神戸の三浦淳寛監督や大久保氏、評論家のセルジオ越後氏、歌手さだまさし、長崎総合科学大付サッカー部など、学校関係者のものなど、各界から花が届けられた。

最後に小嶺さんが率いた長崎総合科学大付は、100回の今大会にも出場。肝臓を患い、持病の悪化もあって、闘病を続けながらの命がけの指揮で全国へ導いたが、初戦からベンチ入りできなかった。

選手も、入院加療、投薬治療を受ける恩師に「奇跡」を祈ったが、かなわなかった。【菊川光一】

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○…小嶺さんが最後に指導したチームで、今大会にも出場していた長崎総合科学大付サッカー部員50人はバス2台に分乗し、8日午前1時に同校へ戻った。チームは敗退後、練習試合を行いながら遠征を続けていたが、訃報を受け急きょ長崎に戻った。この日の通夜には、新チームの2年生5人と、選手権メンバーを含む複数の3年生が訪れた。

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