サッカー界では近年、多くの大卒選手の活躍が目立つ。11月21日に開幕するワールドカップ(W杯)カタール大会でもMF伊東純也(神奈川大卒)、三笘薫(筑波大卒)らが勝利のカギを握る。国士舘大理事長を務める大澤英雄氏(86)は、約60年にわたり大学サッカー界の発展に尽力してきた。03年には多くの選手に公式戦の場を与えるため「インディペンデンス・リーグ(通称Iリーグ)」を設立。大学生のレベルアップを図るため、今も改革の炎を燃やす。86歳、今も衰えぬ情熱の源泉を探った。【取材・構成=盧載鎮】

86歳の大澤理事長は1度も姿勢を崩すことなく、丁寧に話し続けた。「学校法人国士舘理事長」の肩書のほかに、全日本大学連盟顧問、日本指導者協会理事長など数々の役職があり、今でもサッカー部の練習や試合に足を運ぶなど、精力的に活動している。

59年に国士舘大のコーチとなった。以降、60年以上も同サッカー部だけでなく、日本全土の大学サッカーに関わってきた。普及のため、トップチームには上がれない選手や同好会(サークル)のため、Iリーグを設立した。

大澤理事長 現在うちのチームには175人を超える部員が在籍。部員数300人の大学もある。公式戦に出られるのは20人程度。多くの選手は公式戦のユニホームを1度も着ないまま卒業していく。これでは、サッカーをしてきた誇りも、社会人になってからサッカーファミリーとして関わることもなくなってしまう。これを何とかしたかった。

同理事長は03年にIリーグ設立を日本サッカー協会に提案したが、1度は予算の問題などで断られた。しかし、当時の川淵三郎会長の強力な後押しもあって、許可を得た。これでセカンドチーム以下の選手や同好会所属の選手にも大学の公式戦に出場できる道が開けた。しかもIリーグは1つの大学が何チームでも登録できる。現在、国士舘大は関東大学リーグ1部にトップチーム、Iリーグにセカンド以下の4チームが出場している。

Iリーグが定着し、普及以外にも収穫が現れた。低学年選手などの公式戦出場機会が増え、日本代表DF長友佑都は明大時代にIリーグでデビューし、トップチームに駆け上がった。いまや大学サッカーは、日本代表強化にも大きな影響を与えるまで成長した。02年W杯日韓大会から18年W杯ロシア大会まで大学所属だった選手は2~3人程度しか登録メンバーに入らなかったが、カタール大会メンバー入りが有力な6月の代表4戦メンバーでは、28人中9人が大学に所属していた。今後もその数は増え続ける可能性がある。

野球部員だった同理事長は、北海道函館市で中学2年の時にサッカーを始めた。二塁手で守備は得意だったが、バッティングが苦手で、チャンスの時に代打が送られベンチに下がることが何度か続き、サッカーに転向した。

大澤理事長 サッカーになって交代されることはなくなったけれど、ボールの止め方、ヘディングの仕方など、指導者によってやり方が違って戸惑った。それで将来、自分が指導者になって一貫性のあるちゃんとした指導をすると決めて教員を目指した。最先端のサッカーを教わるため、周囲の反対を押し切って東京の大学を選んだ。

今、指導者協会の理事長でもある大澤氏は、指導者改革にも踏み切ろうとしている。指導者ライセンスはS、A、B、C、D級の5段階に分けられており、それぞれ指導できるカテゴリーがある。しかし現在はベンチに相応のライセンスを持つ指導者が1人いるだけで試合が成り立つ。ここにメスを入れるつもりだ。

大澤理事長 現状では監督にライセンスがなくても資格のあるコーチがベンチにいればいいことになっている。だが、本来は責任の最も重い監督が、最高位のライセンスを持つべき。ライセンスを取るには戦術や実技が必要だし、当然人格も問われる。資格を取った後も日本協会から定期的にハラスメント教育なども受ける。スポーツ界の暴力問題が話題になることがあるが、軸がぶれない指導者が現場の最高責任者なら改善できるはず。戦術はチームによって異なるけれど、ボールを止める、蹴る、オフザボールの動きなど、基本の指導法も共有できる。

理想があるからこそ、その情熱は衰えない。各年代の一貫性ある強化による、日本サッカーの確立が、人生最後の目標になる。

◆大澤英雄(おおさわ・ひでお)1936年(昭11)1月22日、北海道函館市生まれ。70年から国士舘大サッカー部監督を務め、全日本大学サッカー連盟理事長、関東大学連盟会長、日本協会理事などを歴任。国士舘大体育学部長、学長を務め、国士舘大名誉教授、学校法人国士舘理事長。19年旭日中綬章受章。現役時はFW。家族は夫人と1女。