ヴィッセル神戸が、J参入27年目で初優勝を達成した。クラブの創生期を当時の担当記者が振り返った。
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あの「オレンジサッカークラブ」が立ち上げたヴィッセル神戸が、J1優勝か…って言っても、そんな名前の運営会社のことは誰も覚えていないだろう。悲哀に満ちたクラブの歴史を思えば、元担当としても感慨深い。過去に2度、チーム消滅の危機があったことを思えば、なおさらだ。
1度目は95年1月17日、阪神・淡路大震災に襲われた。岡山で活動していたJFL川崎製鉄サッカー部を母体に、神戸を本拠地に活動を始めようとしたその日に大震災が発生。メインスポンサーだったダイエーは撤退し、運営会社に「チーム解散」を通告したという。未曽有の被害を前に、誰もがサッカーどころではなかったのが当時の実情だ。
震災からの復興シンボルとして神戸市がクラブを支援。2年後の96年にJリーグ昇格を果たした。ただ、成績は思うようには振るわない。毎年のように監督交代を繰り返し、観客動員も低迷…。03年、2度目の消滅危機が訪れた。
12月15日朝。チーム広報からの電話でたたき起こされた。「今日、記者会見をやります。来てください」。慌てて駆けつけた記者会見場は、ただならぬ雰囲気。身売りの発表だった。クラブ経営が破綻。民事再生法を適用し経営権を全面譲渡すると発表した。債務超過は約16億円、そのうち15億2000万円が神戸市からの貸付金。市民の税金が、ほぼ回収不能となった。神戸市から出向していた幹部は「会社は1度つぶれるけど、チームを残すためや」と声を絞り出した。あのときの泣き笑いの顔が忘れられない。
経営に名乗りを上げていた楽天側とは、ホームタウンやチーム名を変更しないことを条件に水面下で交渉していたという。もっとも、すべてはJ1残留が大前提。残り2試合で免れたものの、J2に降格していれば交渉は破談、チームは消滅していたかもしれない。
そんなこともあったなあ…。しんどかった時代を思い起こすと、優勝の喜びもじわっと染み入る。【元サッカー担当=西尾雅治】



