Jリーグのベルマーレ平塚(現湘南)やザスパ草津(現群馬)の監督を歴任した植木繁晴(うえき・しげはる)さんが11日、群馬・前橋市内の病院で亡くなった。69歳だった。神奈川県出身。J2ザスパ群馬が12日、発表した。

「クラブ創設者として、GM、監督、代表として長きに渡りザスパを支えてくださった植木繁晴氏(享年69歳)が、闘病の末、昨夜2024年4月11日(木)に逝去されました」

「群馬という地にザスパを誕生させ、このクラブの黎明(れいめい)期にご尽力されました。時には厳しく、時には優しく、ザスパにとっても『BOSS』でした。監督を退いたあとも選手たちのことを気にかけて叱咤(しった)激励の声をかけ、クラブから離れたあともずっとザスパのことを見守ってくださいました」

「心から哀悼の意を表すとともに謹んでお知らせ申し上げます」

植木さんは川崎市で生まれ、県立新城高から日本大(日大)を経てフジタ工業でプレー。1987年に引退するまで日本ーリーグ(JSL)で3度、天皇杯で2度の優勝を果たした。日本代表にも選ばれている。

指導者としてはフジタのコーチから平塚の監督に就任。山梨・韮崎高から入団した中田英寿らを育てた。99年からはJ2に参入したモンテディオ山形の初代監督を務め、ヘッドコーチに手倉森誠を抜てき。後にベガルタ仙台や16年リオデジャネイロ五輪の男子代表監督、日本代表のコーチとなった男の恩師でもあった。

草津の創設に携わり、総監督として02年からクラブを率いた。04年から監督、GM補佐をへて06年に監督復帰。08年に退任した後は取締役GMを務めた。14年から23年までは上武大サッカー部の監督/総監督として指導の道を歩み続けた。

葬儀は4月15日午後1時から日典ラサ前橋(群馬県前橋市六供町2の50の30)で営まれる。喪主は長男の植木雅也さん。