サンフレッチェ広島は16日、初代総監督だった今西和男さんが同日未明に肺炎のため死去したと発表した。85歳だった。
41年生まれで広島市出身の今西さんは、東京教育大(現筑波大)卒業後に東洋工業(現マツダ)に加入。DFとして活躍し、69年に現役引退。その後は社業に専念していたが、82年にサッカー部に復帰。後に日本代表監督になるハンス・オフトをコーチとして招聘(しょうへい)するなど積極的に動いた。
Jリーグ開幕に向けての広島立ち上げや、下部組織の整備に尽力。広島を離れた後は05年にFC岐阜の顧問やゼネラルマネジャー(GM)、吉備国際大の総監督などを歴任し、日本サッカー界に大きく貢献した。
日本代表の森保一監督(57)もマツダ、広島時代を通じて恩師として仰いだ。
この訃報に広島の久保允誉会長がコメントを発表。以下全文。
「サンフレッチェ広島の礎を築かれた初代総監督、今西和男氏の悲報に接し、深い悲しみと喪失感に堪えません。クラブを代表し、心より哀悼の意を表します。
今西さんを一言で表すならば、まさに『教育者』でした。Jリーグ参入という激動の時代にあって、『広島という地方都市は、育成型のクラブを目指していかなければならない』という強い信念のもと、サンフレッチェ広島の誕生に多大なるご尽力をいただきました。才能を見出し、愛情を持って育て上げる。『サッカー選手である前に、良き社会人であれ』と説かれたその揺るぎない情熱が、『日本一の育成型クラブ』というサンフレッチェ広島のDNAとして深く刻まれています。
また、長年のクラブの悲願であったサッカースタジアム建設につきましても、今西さんとはクラブの黎明期より誘致に向けて共に走り続けてまいりました。エディオンピースウイング広島という新たな舞台で躍動する選手たちの姿を、これからも末永く見守っていただきたかったと誠に残念でなりません。
私がクラブ経営を引き継いでからは、現場の強化は今西さんに託し、それぞれの持ち場で共に歩んでまいりました。苦しいことも多くありましたが、私にとっては本当に楽しい時間でした。
これまでのサンフレッチェ広島、そして日本サッカー界への計り知れないご功労に深く感謝申し上げますとともに、安らかにお休みになられますよう、心よりお祈り申し上げます」
◆今西和男(いまにし・かずお)1941年(昭16)1月12日、広島市生まれ。舟入高、東京教育大(現筑波大)を経て、63年広島の前身、東洋工業(後にマツダ)に入団し、日本代表としてもプレーした。マツダ時代は監督も務め、オフト監督を招聘(しょうへい)。Jリーグ発足後は総監督、日本協会強化副委員長などを歴任。02年広島のJ2降格で総監督辞任。FC岐阜の社長も務めた。



