サッカー元ブラジル代表で「王様」と呼ばれたペレさんが29日、サンパウロ市内の病院で亡くなった。82歳だった。

母国をFIFAワールドカップ(W杯)で3度の優勝に導いた功績や、生涯通算1281得点とされるゴール数など、偉業は多々あるが、サッカー界に“残した”大きなものとしては「交代枠」がある

1966年のW杯イングランド大会。3連覇を目指して25歳で3度目の大舞台に立ったが、開幕前から負傷に悩まされていた。1次リーグ初戦のブルガリア戦こそ1得点したが、試合中に再び膝を痛めていた。

第2戦ハンガリー戦は出場することができずチームも敗れ、第3戦ポルトガル戦は強行出場。ここでも相手のラフプレーを浴び続けて患部が悪化し、後半途中に負傷退場。しかし当時のルールでは選手交代が認められていなかったため、ブラジルは10人での試合を余儀なくされ、敗退した。

ペレさんが出た4度のW杯のうち、唯一優勝を逃した大会。これが国際サッカー連盟(FIFA)を動かし、ルールが変わったとされている。4年後のメキシコ大会でW杯としては「交代枠」が初採用。この大会でペレさんは、今も世界で1人しかいない個人3度目のW杯制覇を成し遂げた。

その後、W杯における選手交代は98年フランス大会からポジションに関係なく3人まで可能となり、今回22年カタール大会で5人になった。