前田彩里(23=ダイハツ)が、日本歴代8位の2時間22分48秒で世界選手権(8月、北京)代表を確実にした。15キロの給水で他選手と交錯して転倒。出血と痛みに耐えて自己記録を4分近く更新して日本人トップの3位に入った。日本女子で8年ぶりとなる2時間23分切りの好タイム。低迷する日本女子で新星が光り輝いた。ユニスジェプキルイ・キルワ(30=バーレーン)が、初優勝を果たした。

 路面にヘッドスライディングした。前田は、15キロの給水で他選手とぶつかり「やってもうたー」。マラソンではめったにない豪快な、しかもレース中は人生初の転倒。左膝、右肘、左手甲の3カ所から出血。ひねった左手首は時計を見る度に痛んだ。20キロ地点では母淳子さん(52)は「お父さん、何とかしてー」と天国の節夫さん(享年54)に祈ったほど。ただピンチから立ち直り、先頭に食らいついた。30キロ過ぎでキルワから遅れたが、日本人トップの3位でゴール。けがを心配していた林監督に抱きつき「すごく痛~い」と満面の笑み。同監督は「現代っ子なんで」と苦笑いした。

 日本歴代8位の2時間22分48秒にも「まあまあですかね。(歴代8位に)そうなんですか?」。前田はあっけらかんとしたが、日本女子の同23分切りは07年11月の野口(2時間21分37秒)以来8年ぶり。昨年1月に学生日本最高の2時間26分46秒を出した新星が強豪ダイハツに入社し覚醒。「北京切符」を確実にした。

 明るい笑顔の裏に、父の“遺言”がある。「五輪に行け」。13年8月、地元・熊本県内の病院。マラソンランナーで実業団の監督も務めた節夫さんの1年8カ月にわたるがん闘病に幕が下りようとしていた。北海道合宿を切り上げ、父のもとに駆け付けた。母は「意識がなくなる直前で、それが最後の言葉。お父さんはそれまで五輪とか言ったことがなかった。最後だったから出たのかな」。娘は「うん、頑張る」と泣いた。

 幼いころからマラソンをする両親に連れられ、姉祐佳さん(25)と給水の手伝いや子ども部門のマラソンに参加。食卓の話題はいつも陸上。マラソンにかけてきた父の“遺言”だった五輪は、約束の舞台だ。

 前田は、昨春の入社時にわずか3回だった腕立て伏せが現在は15回。まだまだ伸びしろがある。転倒にもめげず好記録をマークした新星が、真夏の北京でリオ切符を狙う。【益田一弘】

 ◆前田彩里(まえだ・さいり)1991年(平3)11月7日、熊本県菊池郡生まれ。室小4年からバスケットボール部、大津北中1年で陸上部。熊本信愛女学院高、佛教大をへて昨春ダイハツ入社。昨年1月の大阪国際で学生日本最高の2時間26分46秒をマークした。趣味はネイルで、あだ名は「ちゃいり」。159センチ、44キロ。家族は母と姉。