昨年7月の陸上世界選手権(米オレゴン州)男子100メートルで日本人初の決勝進出を果たしたサニブラウン・ハキーム(23=タンブルウィードTC)が、今年に入って単独インタビューに応じた。ニッカンスポーツ・コムで次世代の日本のスプリンターへ提言する5回連載の第2回は、身を置く本場米国の練習環境について。【取材・構成=木下淳】

サニブラウンは、国内の大学に行く気がなかった。答えのない挑戦がいい。数多くあった誘いを断り、高校卒業の半年後に米フロリダ大へ。18歳の秋だった。

「米国に1人で行くことに対して、親は反対するどころか『行ってくれ』みたいな感じでしたね、逆に。『日本では学べない勉強をしてきてほしい』って。実際、米国に来て『どう練習したらいいか』を本当の意味で考えられるようになりました。与えられるだけでは成長できないし、ただ毎日を過ごすだけでは、つまらないですから。いい選択ができて本当に良かった」

本場米国の高い競技レベル、最先端のトレーニング理論などメリットは多々あるが、最も大きかったのは厳しい環境で「たくましさ」が培われたことだった。

「急に翌週のレースに出ることとか、よくあるんですよ。しかも海外。移動も準備も1人です。もし日本なら、コーチ、トレーナーに、あと1人くらいはサポートが付いてくれるじゃないですか。本来はありがたいことなんですけど『これでは育たないな』って感じてしまったことがあって」

当然、試合に向けた準備も1人で完結させている。

「プロチームですから選手は毎週、いろんな試合に出るため各地に散っています。実は、コーチがいる試合の方が少ないんです。毎回、サポート不在の中で、ウオーミングアップも体のケアも自分1人でしないといけない。どんな状況であれ対応できるよう、自分をマネジメントできないといけない。いかなる環境でも戦えることが、トップへの大前提。その意味で、やっぱり過酷な環境に普段から慣れているのと、いないのとでは、違いが明らかに出てくると言えますよね」

ゆえに「海を渡らないと」と、まだ若いうちに海外へ出ることを日本の次世代のスプリンターに求めた。

「日本にいるのと米国にいるのと、では自発的な挑戦の度合いが変わってきます。コーチの練習が合わないこともあると思いますけど、とりあえず与えられたことをやって、結果が出なくて『伸びなかったね』で終わり、は寂しい。より自発的な姿勢を身につけるには、やっぱり海外に出ていくこと。それが一番大事なことだと言い切れますね」

とはいえ、ハードルは高い。スタートの前段階で必ず語学の問題に直面する。

「行けば、勝手に覚えようとするんですよ(笑い)」

実際、サニブラウンも英語は話せなかった。ペラペラだから米国へ-。そんなイメージと正反対だった。

「ホント、しゃべれたわけじゃないんで。それこそ最初はOKとかYESとか片言だけでした。それなのに日本を出ることしか考えていなかったので、高校から週4日くらい英語塾に通ってましたね。ただ、日本で勉強してもいいんですけど、やっぱり行くことは大事ですよ。米国生活5年目になりましたけど、そう思います。聞き取りができるようになると、しゃべりも勝手に出てくるようになります。アクセントに関しても、友達とか周囲のまねをしていれば、勝手にネーティブのアクセントになるので。全部『後付け』でいいんですよね。みんな優しいから、ゆっくりしゃべってくれますしね。聞き返してもいいんですよ、何回だって。そういうの怖がってたらダメかなと。自分も、今でも3回ぐらい聞き返すこと、普通にあります。本当に分からない時は例を出してくれたり、何かに置き換えてくれたりするし。その意味では言葉の壁は全然なくて。コミュニケーションしたいか、したくないか。それだけだなと思います」

大学も、入学後のサポートは手厚いという。トップアスリートでも学業をおろそかにはできないからだ。

「C(日本で優良可の可)以上の成績を取らないと試合に出られないんです。前期と後期で必修の授業が決まっていて、しっかり単位を取得できないと大会に登録できないので。でも、スポーツで世界のトップを目指す学生を本当に尊重してサポートしてくれます」

競技レベルも身の丈に合った段階から始められる。

「陸上に限らず、どのスポーツでも同じだと思うんですけど、米国の大学はディビジョン1(1部)からディビジョン2、3…とレベルが分かれています。最初は3部でも、成績が良ければ1部に行けます。英語が心配なら、最初の2年間はジュニアカレッジという語学サポートなどしてくれる学校に通えますし、そういう学校ですら陸上が普通に強かったりするので、自分のペースで下準備をして2年後に希望の大学へ進むこともできるんです。だから、可能性はいくらでもあるわけです。日本に伝えていきたいのは、そういうあまり知られていない部分ですね。あとは行きたいとチャレンジする気持ちだけ。英語なんて、本当に行けば勝手に覚えるので心配するだけ無駄です(笑い)。とはいえ1度も行ったことがないと怖いと思うので、試す機会を1週間でも2週間でも用意してあげなきゃいけないのかなと。国内合宿で満足するのではなく、海外に出ていける仕組みを確立しないといけないなと」

昨年11月には身近な仲間を呼んだ。同じマネジメント事務所UDN SPORTSに所属する陸上男子走り幅跳びの橋岡優輝(23=富士通)を、拠点のフロリダ州ジャクソンビルに招いた。21年の東京オリンピック(五輪)で6位、日本人37年ぶりの入賞を果たした同学年と合同練習した。「さらに上の世界を見てほしい」と誘ったものだった。

「今回、橋岡がアメリカに来たの正解だと思いますよ。うち、走り幅跳びのコーチも素晴らしい方ばかりですから。米国なら上の選手がゴロゴロいますし、間違いなく彼の刺激になったと思うし、今回かなり身になったんじゃないかと。ともに上を目指すことで陸上界を盛り上げていければ」

メリットしかない米国の環境。では、なぜ日本はまだまだ国内中心なのか。小、中、高、大、実業団へと続く日本陸上界について持論を展開した。(第3回に続く)

◆サニブラウン・ハキーム 1999年(平11)3月6日、福岡県生まれ。ガーナ人の父と日本人の母の間に生まれ、小学校3年で陸上を始める。15年世界選手権北京大会の200メートルに世界最年少の16歳で出て準決勝進出。東京・城西高を卒業後、オランダ修行をへて17年秋に米フロリダ大へ進学。19年5月に9秒99、同6月に9秒97を記録した。20年7月に休学し、現在の所属に。21年東京五輪は腰のヘルニア等で200メートル予選敗退。190センチ、83キロ。血液型O。