第100回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝、来年1月2、3日)へ向けた連載「100回目の箱根 今昔物語」の第4回は、数々のドラマを生んできた5区「山登り」に焦点を当てる。最高点は標高約874メートル。険しい上り坂での戦いに向けた戦略の今に迫りながら、今大会の「山の神」候補を紹介する。

     ◇     ◇     ◇

「山の神、ここに降臨。その名は今井正人!」。日本テレビの河村アナウンサーが叫んだのは2007年。順大・今井が5区で3年連続区間賞を獲得し、往路V2を遂げた瞬間だった。以降は東洋大・柏原、青学大・神野が「山の神」を継ぎ、箱根路を彩ってきた。

「山を制すものは箱根を制す」。大東大を75年から連覇に導いた青葉監督のこの言葉は、今も結果に表れている。直近5大会のうち4度は、山区間の合計タイム1位のチームが総合優勝を達成。それだけに、指揮官の戦略も鍵を握る。東洋大・酒井監督は登り坂でのスピード力に主眼を置き、持論は「2区を走れる選手は、5区の適性も高い」。柏原が卒業した13年以降でも、区間2桁順位は2度のみと安定感が際立つ。城西大・櫛部監督は「地面への接地時間の長さ」に着目。大学近隣の山で全員が登り練習をする機会があり、前回大会で区間新を樹立した山本には「伸びやかに足を前に出すことができる」と適応力を見ていた。

適性を図る場として、近年は例年11月に行われる「激坂最速王決定戦」も活用されている。標高差981メートルの箱根の有料道路(13・5キロ)がコースで、17年からここまで6度開催。この大会を20年に制した創価大・三上は、1カ月半後の箱根5区で区間2位と好走。同大初の往路Vへ導いた。今年は箱根出場8校が参加。大会運営事務局の竹内広憲氏は「本戦出場チームの練習の場として協力できれば。出場できない選手にとっても、思い出の場にしてもらえると良いと思う」と話す。

山登りの重要性、そして注目度も高まる中、選手間でも5区の価値は変容しつつある。創価大・吉田響は「神野さんの走りに感動した」と東海大静岡翔洋高時代から5区に憧れを持っていた。明大・吉川は世羅高(広島)時代に起伏のあるクロスカントリーのコースで練習を積み、自ら適性を感じ取ったという。節目の100回大会。果たして山を制するのは-。【藤塚大輔】

○…「山の神」の出現前から、数々のスペシャリストが存在した。鈴木房重(日大)は1935年から6年連続(※)で5区出走。2年時から3年連続区間賞で同大の4連覇に貢献。36年ベルリン五輪マラソン代表に選ばれた。西田勝雄(中大)は1950年から3年連続区間賞で52年ヘルシンキ五輪マラソン代表に。大久保初男(大東大)は5区初の4年連続区間賞を獲得した。中大・藤原監督も同大1年時から3年連続で5区を務めた。

(※)戦前から戦後の数年間は旧制大学(予科3年・本科3年)時代の出場制限6回が適用されていた。

【100回の箱根 今昔物語 第1回】駒大、初2季連続3冠“最強”に挑む…強さは3つの要素「各自役割を」藤田監督>>

【100回の箱根 今昔物語 第2回】幾多の名場面「男だろ」「信じてる!」運営管理車から飛ばされる監督“決めせりふ”>>

【100回の箱根 今昔物語 第3回】「花の2区」早大・花田監督が明かした恩師との会話 出場23校の監督で9人が経験者>>