第100回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝、来年1月2、3日)へ向けた連載「100回目の箱根 今昔物語」の第5回は外国人留学生に焦点を当てる。留学生が初めて箱根路を駆けたのは、第65回大会(1989年)の山梨学院大・オツオリ。あれから35年。留学生選手の存在に、変化が生まれてきている。

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昨年の出雲駅伝。駒大のエース田沢は、3区途中でこのレースを欠場した東京国際大の最強留学生の姿を目にした。「ヴィンセントがいたんです」。ライバルに挙げたこともある男からエールを送られたという。在学中から世界選手権へ出場した世代屈指のランナーにとって、箱根で区間新を樹立した外国人選手の存在は、確かな刺激となっていた。

初めて留学生ランナーが登場した時は、批判の声が少なからずあった。オツオリが史上初の3年連続2区区間賞を遂げた時、日刊スポーツはこう報じている。「初めて箱根を走った際は、外国人と批判も浴びた。しかし、偉業達成に『大したものだ』と、ついに実力で関係者をうならせた」(91年1月3日付)。

その後は、徐々に留学生選手の起用が拡大。走力の高さもあり、06年からはエントリー登録は2人以内、出場は1人までと新ルールも設けられた。一方で、留学生起用校の優勝は、95年71回大会の山梨学院大から遠ざかっている現実もある。青学大を6度優勝へ導いている原監督は、外国人選手に理解を示した上で「留学生をもって箱根を戦う考えはない。与えられた環境で精いっぱい原メソッドを体系化させる」と話す。

今でもさまざまな意見がある中、城西大は昨季から留学生を迎え入れた。ヴィクター・キムタイはクロスカントリーコースでの12キロ走で、速い時は1キロ3分ペースで走る。野村颯斗主将は「一緒に走れれば、自分たちもできるという気持ちや、他大学とも競る力がつけられるという考えが生まれてきた」と実感。“ヴィクターチャレンジ”と呼ばれる高レベルの練習もあり、今年は出雲3位、全日本5位と躍進につながった。

駿河台大・徳本監督はさらに広い視野で留学生の影響を捉える。「留学生選手に勝たないと次のステージはないと思う日本人選手が出てきている」。影響は自チームにとどまらない。ヴィンセントと田沢のように、トップクラスでのライバル関係も生まれている。留学生ランナーの存在は、箱根路での結果だけでなく、陸上界全体のレベルアップの一助ともなってきている。【藤塚大輔】

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