私は現在、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の広報業務を担っている。

そこで多くの仕事をさせてもらっているが、その1つであるフラッグツアーというコンテンツで9月10日、鳥取県立鳥取盲学校に訪問した。

フラッグツアーとは、リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックの閉会式で引き継がれたオリンピックフラッグとパラリンピックフラッグと共に各都道府県を回る機運醸成事業だ。

初めて、フラッグが盲学校を訪問した。

そこでのゲストは、パラ水泳で殿堂入りし、92年のバルセロナパラリンピックから6大会連続で出場している河合純一さんだった。競泳では大先輩。お仕事を多くご一緒させてもらうが、素晴らしい方だし、スポーツの発展をベースにスポーツのためならといつでも気持ちよく仕事をしていただける方でもある。

今回訪問した鳥取盲学校の全校生徒は、10人。小学5年生から57歳までの生徒が在籍している。それに比べ先生は、20人の正教員に加え、非常勤講師、寄宿舎の職員も含め50人いる。

私は人生で初めての盲学校訪問で、どんな学校なんだろうとわくわくしていた。第一印象は「なんと温かい学校なんだろう」というもの。先生は生徒ととても近い存在で、生徒たちが伸び伸びと過ごしている。もちろん手厚いサポートのもとにこの雰囲気が築き上げられているのは、想像ができる。

ゲストアスリートとして参加いただいた河合純一さんは、生まれつき左目の視力がなく、15歳の時に右目の視力を失い全盲になった。学校には河合さんと同じように後天的の生徒もいたし、生まれつき全盲の生徒もいた。弱視(視力発達の障害による低視力、眼鏡等でも視力が十分出ない)の生徒もいる。

フラッグを鳥取県に引き継ぐという、メインイベントを終了したあとは、参加した先生、生徒全員で、フロアバレーボールを一緒に行った。

バレーボールを用いて、床にボールを転がして行うスポーツ。ジャンプをしたり、ボールを上げることはなく、メンバーは6人。3人が前衛、3名が後衛という形で、前衛はアイマスクなどを着用し何も見えない状態でプレーする。声を出しながら視覚障がい者も健常者も一緒に楽しめるスポーツだ。

個人的には、指導している大学でも生徒たちにやってもらいたいなと思った。気持ちがコネクトして充実した時間になったし、「やっぱりスポーツはいいなー」と、じわっと汗をかきながら気分がよかった。

鳥取盲学校の藤田則恵(ふじた・のりえ)校長先生にお話をうかがった。今年4月に病弱、肢体不自由な生徒がいる学校から異動してきた。障がいを持つ生徒たちとずっと接してきたスペシャリストでもあるのだろう。「1人1人の個性を大事にしている」「盲学校というと、ハードルが高そうだけど、地域の人の窓口です」。電話やメールでも相談を受け付けているという。「地域の人たちが、困っていたらいつでも連絡を待っている」と話す。

河合さんいわく、学校というだけで心理的な壁があるけど、そんなことはなく視覚障害者のハブ(拠点)なんだと。また、近隣の鳥取聾学校や、青翔開智中学校とも協力しているという。

「開けた場所なんだ」。そう感じた。

先生たちの雰囲気や生徒たちも素直さ。みんなオリンピック・パラリンピックフラッグにとても興味を示し、河合さんの素晴らしいお話しも時間を忘れて聞き入っていた。私も、とても刺激になった言葉がある。

「全盲になったとき、いろいろ考えることはあったが、自分は変わらない。河合純一という人は、この世からいなくなるわけじゃない」「不便で不自由だが、不幸ではない」「みんなが必要な存在。必要とされる人になることが大事」

河合さんが、早稲田大学水泳部在籍中に声をかけてくれた選手は、「超一流」の選手だったという。「オリンピックに出場した選手こそ、自分に声をかけてくれ、いろんなことを教えてくれた」。

これから、日本は少子化高齢化に向けていろんな努力をしていく必要があり、多様性という言葉も浸透している。今、必要なのは、意志をもって多様性を理解することだ。河合さん、盲学校のみなさんと話していて感じた。

まず相手を知ること。その先に平和がある。オリンピック精神を思い出した。

鳥取県のみなさん、河合純一さん本当にありがとうございました。(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)