KO決着を逃した。窮地もあったし、流血もした。それでも井上は5階級制覇のドネアと真っ向から打ち合い、ダウンを奪い、高度な技術戦を制した。堂々たる快挙。これが令和の日本人ボクサーなのだ。世界に挑むために体重を限界まで絞ってパワーの差を埋め、スタミナと手数でテクニックに対抗する、そんな日本選手のイメージは今は昔。井上が拳で示してくれた。

昭和の時代に26人だった世界王者は、平成の30年間をへて91人まで増えた。ボクシング大国になった。13年にWBAとWBCに加えて、IBFとWBOの王座も承認され、ベルトは倍増した。しかし、激増の要因はベルトの数ではない。「今の日本人の技術は世界でもずぬけている」と、井上の所属ジムの大橋秀行会長は断言する。

転機の1つが日本プロボクシング協会が08年にスタートさせたU-15(15歳以下)全国大会。その競技性から以前は高校から始める選手が大多数だったが、小中学生から全国規模で活躍できる場ができた。井上尚弥、拓真兄弟や3階級制覇王者の田中恒成はこの大会の優勝者。早期からの英才、実戦強化で、技術レベルが飛躍的に上がった。

90年代初頭まで世界王者になれば国民的ヒーローになった。大橋会長はWBC世界ミニマム級王座を奪取した翌日に首相官邸に招待されたという。しかし、平成以降、世界王者の数が急増し、野球やサッカーなど他競技で海外で実績を残し、世界から高い評価を受けるプロ選手が増えたことで、世界王者になっただけでは、以前ほど注目されなくなった。

井上の現役世界王者らによる最強トーナメント挑戦は、そんなボクシング界に新たな道を切り開いた。国内で防衛を重ねるのではなく、リスク覚悟で世界の舞台で勝負をかけて、真のバンタム級の頂点に立った。その評価は日本を超えて世界中に広がった。日本の世界王者から世界のヒーローへのレールを敷いたのだ。令和元年、日本のボクシング界も新たな時代が幕を開けた。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)