「引き際を決断するのも才能」。かつての大女優の言葉である。余力を残しての引退は悔いを残す。かといって晩節を汚したくもない。頂点を極めた者ほど、その時を決断するのは難しいといわれる。忍び寄る老いや衰えを実感しても、長い年月をかけて大切に積み上げてきたものを手放す選択は容易ではない。

横綱鶴竜が引退した。横綱審議委員会(横審)から「注意」決議を受けた後も休場を重ね、春場所で5場所連続休場。降格がない横綱には品格とともに、成績への責任と覚悟が求められる。横審から「引退勧告」の可能性もあった。最後は横綱の権威を選択したが、それまでは現役続行を希望していると伝えられていた。引き際の難しさを、あらためて感じた。

王貞治さんの引退を思い出した。1980年11月の引退会見で「王貞治のバッティングができなくなった」と語った。最後のシーズンは打率こそ2割3分6厘と低調だったが、30本塁打と84打点はいずれもリーグ4位。当時、高校生だった私は通算868本塁打を放った「世界のホームラン王」としての覚悟と、潔い“引き際の美学”に胸を打たれた。

ところが30年後、意外な記事を目にした。2010年5月25日付の読売新聞で王さんが引退について「悔いが残っている」と告白していたのだ。40歳という年齢を限界の理由にして辞めたことに「間違いだった」「山はまだまだ乗り越えられた」「あと3年は絶対にやれる自信があった」と悔恨の思いを吐露していた。あの見事な引き際に、王さんは引退後も葛藤を抱えていた。

数々の引退を見てきた。フィギュアスケートの伊藤みどりは、五輪で史上初めてトリプルアクセルを成功させて、現役に幕を下ろすことを決めた。サッカーの中田英寿は集大成で臨んだ3度目のW杯で敗れ、29歳で引退した。一方、スピードスケートの橋本聖子は「この五輪が最後」と公言して臨んだ4度目の五輪で銅メダルを獲得したことで現役続行を決断した。引き際には、その選手の人生観や生きざまがにじむ。

私が最も感銘を受けた引退は、15連続KOの日本記録を持つプロボクシング元世界スーパーライト級王者の浜田剛史(帝拳)。88年3月、あの統一世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の前座で復帰戦が決まっていたが、試合直前に引退を決断した。

決戦1週間前、長年苦しみ続けた右ひざの痛みが消え、思い切り踏み込んでサンドバッグを打った。ところがパンチに体重が乗らない。「踏み込む瞬間、どうしても心と体にブレーキがかかる。いつの間にか右ひざをかばう打ち方しかできなくなっていた」。浜田剛史のパンチが打てない。それに気づいた瞬間に引退を決意した。1500万円のファイトマネーにも未練はなかったという。

男の生きざまが凝縮された、これほど見事な引き際を私はほかに知らない。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)