「ドーピングに違反したアスリートは、試合に参加できません。この原則は例外なく順守されなければなりません」。10年バンクーバー五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、金妍児(キム・ヨナ)さんが14日、自身のインスタグラムに記した。北京五輪のリンクに立つ選手たちの気持ちも同じだろう。私も同感である。

昨年末のドーピング検査で陽性反応が出たカミラ・ワリエワ(ロシア・オリンピック委員会)の出場が認められた。地元メディアに「精神的に疲れました」と訴える少女の涙には同情するし、本人は何も知らないのだとも思う。だが、15歳の体内からあるはずのない、持久力向上の効果がある禁止薬物が検出された事実は重い。あどけない泣き顔の背後に、ずる賢い大人の存在を指摘する声もある。

出場の決め手は「16歳未満は要保護者」という世界反ドーピング機関の規定。判断力が十分に備わっていないことを考慮したものだ。だから調査は後回しで、とりあえず出場させるという。調査次第では失格になる可能性もあり、ワリエワの金メダルが取り消され、順位が繰り上げられることも考えられる。こんな試合を戦う他の選手の心情はいかばかりか。観客は心から拍手できるだろうか。

私にも苦い思い出がある。05年8月の陸上世界選手権(ヘルシンキ)男子100メートルで、前年のアテネ五輪覇者ジャスティン・ガトリン(米国)が圧勝した。大観衆と一緒に私も記者席で立ち上がって祝福した。翌月、来日した彼は「薬とは無縁。カール・ルイスと並ぶ選手になる」と胸を張った。私は「ルイスを超える男」という切り口で記事にした。

ところが、翌年、彼はドーピング違反で4年間の資格停止処分を受けたのだ。裏切られた思いとともに、あのヘルシンキの至福に満ちた夜の記憶まで、黒い墨で塗りつぶされたような気分になった。ドーピングは選手の健康を害し、試合の公平性を損なうだけではなく、感動や共感といったスポーツそのものの価値まで、消失させてしまうのだと思った。

そういえば88年のソウル五輪陸上男子100メートル決勝でトップでゴールした後、ドーピング違反で金メダルを剥奪されたベン・ジョンソン(カナダ)が「金のあるところに不正がある」と、引退後に日本のメディアに語っていた。当時のレース出場料は1000万円を超え、シューズやウエアメーカーと億単位の契約を結んでいた。彼にとって金メダルはリスクを冒すだけの価値があった。

ワリエワには「絶望」の異名があるとも報じられている。誰もが勝つことをあきらめるという意味合いらしい。周囲の大人たちにとって最高の「金のなる木」。これからも彼女の周りでは、さまざまな思惑がうごめくに違いない。五輪が巨万の富をもたらす装置である限り、こうした問題は永遠に続くのだ。その最大の責任は、拝金主義にまみれてしまった五輪そのものにあるのかもしれない。【首藤正徳】

フィギュアスケート女子でROCのワリエワのドーピング問題について真っ黒の画面とともに私見をつづったキム・ヨナ氏(本人公式インスタグラムから、画像は一部加工)
フィギュアスケート女子でROCのワリエワのドーピング問題について真っ黒の画面とともに私見をつづったキム・ヨナ氏(本人公式インスタグラムから、画像は一部加工)