千葉県旭市で聖火ランナーを務める戸井穣さん(撮影・平山連)
千葉県旭市で聖火ランナーを務める戸井穣さん(撮影・平山連)

東日本大震災で震度5強を観測し、死者行方不明者計16人が出た千葉県旭市は、首都圏で最悪の津波被災地だ。市防災資料館前館長の戸井穣さん(76)は後世にその教訓を伝えようと奮闘してきた。

東京オリンピック(五輪)聖火ランナーに選ばれ、7月に大津波が襲った市内沿岸部を走る。「復興五輪」の意義をかみしめながら、発生から10年たつ地元の様子を国内外に発信したいと意気込みを見せる。

東日本大震災での旭市内の被害状況を展示する市防災資料館(撮影・平山連)
東日本大震災での旭市内の被害状況を展示する市防災資料館(撮影・平山連)
津波被害を受けて午後5時26分を指したまま止まっている時計(撮影・平山連)
津波被害を受けて午後5時26分を指したまま止まっている時計(撮影・平山連)

発生時の様子を伝える地元紙、最大7・6メートルの津波を受けて止まったままの時計、がれきの中から必死になって家族の大切な品を探す女性を捉えた写真…。飯岡海岸から程近くにある市防災資料館の展示品は、当時の出来事が思い返されるものばかり。収集された生々しい資料の数々に胸を締め付けられた。

戸井さんは「東北地方と比べるとあまり注目されないかもしれませんが、16人の死者行方不明者が出たという事実は何としても伝え続けなければいけません」。行方不明者の家族から「ひょっこり帰ってくるかもしれない」と涙を流して投げかけられることもあるといい、資料館長時代からどうやって寄り添える対応ができるか考えながら過ごしてきた。

活動にまい進してきたのは、じくじたる思いが関係している。「地元では『遠浅の海だから津波は来ない』と言い伝えられ、私も当時そう信じていました」。震災後にかつての歴史をひもとくと、房総半島だけで4000~5000人の死者を出した「元禄地震(1703年)」では飯岡地区にも津波が押し寄せていたことを知った。

千葉県旭市沿岸部にある津波到達点を示す石柱(撮影・平山連)
千葉県旭市沿岸部にある津波到達点を示す石柱(撮影・平山連)

防災士の資格を取り「地域のために恩返しがしたい」と考えた末、市内の被害状況をまとめた資料館の開設を進言。開館後は館長を引き受けた。震源地から300キロ以上離れた所にも大きな爪痕をもたらしたことを忘れて欲しくない。そんな一心で、国内外約4万8000人の来館者に対して丁寧に説明してきた。

震災10年の節目を迎え、今年2月末に資料館館長を退いた。目下の目標は、東京五輪の聖火リレーのランナーを全うすることだ。7月2日に市内沿岸部を走る戸井さんは、五輪延期決定後もジョギングなど体を動かすことを欠かさなかった成果を発揮したいと思っている。それでも、1番は走ることで「旭市にもたらした震災被害に改めて関心が集まることです」。海の方を眺めながら語る表情には、強い覚悟がにじんでいた。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

「元禄地震の再来想定津波高」と書かれた看板示す戸井さん(撮影・平山連)
「元禄地震の再来想定津波高」と書かれた看板示す戸井さん(撮影・平山連)