■形見のトランポリン

 数日後、いつも通う中京大近くの食堂に浅田の声が響く。「パパ、この魚おいしいんだよ」。憔悴(しょうすい)する父に、必死に元気な自分をみせた。誰より強くあろうとし、家族を支えたかった。それは母との約束があったから。「いつも通りに」。

 母からもらったのは言葉だけではなかった。3回転半を跳べる体もそうだ。浅田の実家の庭には、いまでも直径3メートルほどの大きな円形のトランポリンがある。それが2代目。「生まれたときには、もっと小さなものがあって、跳んでいたみたいなんです。いまでも使いますよ」。重力から解放される楽しさは、しゃべれる前から知っていた。

 強くてケガに耐える丈夫さもそうだ。小学生のころから腰にコルセットのような矯正器具を巻いてくれた。当時、まだフィギュアには筋力トレーニングは必要ないとされていたが、独学で理論を学び、ノートは100冊以上。ジャンプも左回転だけでなく、右回転を練習させて、左右の筋肉を均等に。器具も含め、娘の将来までの体を考えていた。

 浅田はソチのリンクに大きな躍動を刻んだ。ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第2番」が流れ始める。「できる」。そう自分を強くもち滑り出した26秒後、氷を左足で蹴る。体が舞い上がる。庭にあったトランポリンと同じ感覚。高く、高く。そして-。

 集大成の場所で、今季初めて成功した。世界でただ1人しか跳べないジャンプ。母の支えがあったから、いまでも挑戦できる。だから、決めたかった。2人で進んだ道の証しを刻みたかった。「自分のスケート人生」を表現するフリー。そこからは、過ごした日々の幸福も悲哀もすべてを注ぎ込む。ジャンプ、スピン、ステップ。1つ1つが、歩んだ軌跡に重なっていく。4分7秒、フィニッシュポーズを決め、天を見上げた。「いつも通りに」。やり抜いた娘を、母もきっと見ているだろう。

 枕元には笑顔の母の写真がある。小さな絵はがきサイズの飾り台に載せ、どこへでも一緒だ。この日の夜、眠りにつく前、きっとまた話したはず。「ママ、どうだった?」「よかったよ、真央」と。【阿部健吾】