女子で2連覇を狙った世界6位の吉田愛(38)、吉岡美帆(28=ともにベネッセ)組が、メダルレースで8位となり、通算65点で銀メダルを獲得。日本セーリング連盟の規定で、20年東京オリンピック(五輪)代表に内定した。惜しくも2連覇は逃したが、470級の世界選手権、五輪を通じて、2大会連続の表彰台は初の快挙となった。金メダルは、メダルレースで7位に入り、通算62点だった英国組。

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銀メダルだったが、“よしよし”コンビは笑みがはじけた。誇らしげに日の丸をまとい、表彰式では、祝いのシャンパンをかけ合い、代表決定の美酒に酔った。昨年の世界選手権で女王になってから「最大の目標が、今大会で代表を決めることだった」(吉田)。その目標を、2大会連続でのメダル獲得の快挙でしっかりと達成した。

台風の影響で、江の島特有の南からの波がうねった。その中、スタート直後から、英国との壮絶なバトルとなった。第2マークで英国に先行したが、回航でスキを突かれた。マークを先に回れると思ったのか、内側をあけた。そこに英国艇が滑り込んだ。マークの回航は内側の艇が優先だ。そこで抜かれ、わずか3点差で銀メダルとなった。

今年になって、国際レースでなかなかメダルに絡めなかった。W杯3戦では9位、11位、10位。世界女王になって、ミスをできないという思いからか、スタートが慎重になりすぎたという。ただ、吉田は「すべては今大会のため。結果が出ないこともあったが、目標をぶれずに戦えた」と胸を張る。今大会は、何度も修正してきたスタートを改良できたことで、メダルにつながった。

前回のリオ五輪では、メダルを狙いながら5位に終わった。最初のレースで、吉岡は緊張のあまり落水。「今でも、お風呂で思い出す」という。しかし、リオ後、吉田は長男琉良(るい)君が誕生。「オンとオフが使い分けられるようになった」。吉岡は、吉田が産休の間、ベネッセのOLとしてフィリピンに語学留学。競技では外国選手とも組み、「多くの経験で大きな自信を得た」。

東京五輪と同じ会場の江の島で、銀メダルを獲得し、代表を決めたことは大きい。「この銀メダルを、1年後には金メダルに変える」(吉田)。“よしよし”コンビの日本セーリング界史上初の五輪金メダルへの道が、江の島から始まる。【吉松忠弘】

◆470級 セーリングの1種目で、名称は競技で使用する全長4・7メートルの2人乗り小型ヨットに由来する。76年モントリオール五輪から正式種目。3枚のセールを用いており、乗員の役目は、操舵(そうだ)とメインセールを担当するのがスキッパーで、船の傾きとほかのセールを担当するのがクルーだ。日本では最も成績がいい種目で、96年アトランタ五輪で女子の重由美子、木下アリーシア組が銀メダル、04年アテネ五輪で男子の関一人、轟賢二郎組が銅メダルを獲得している。

◆吉田愛(よしだ・あい)1980年(昭55)11月5日、相模原市生まれ。旧姓近藤。小1でヨットを始め、08年に鎌田奈緒子と組んだ「コンカマ」で世界ランキング1位。北京、ロンドン、リオデジャネイロと五輪3大会連続代表。最高位は16年リオ五輪の5位。17年6月に長男琉良(るい)君が誕生。日大卒。161センチ、58キロ。

◆吉岡美帆(よしおか・みほ)1990年(平2)8月27日、広島市生まれ。芦屋高でヨットを始め、立命館大を経て13年に吉田愛とペアを結成。同年世界選手権初出場で、10位に食い込んだ。16年リオ五輪で五輪初出場で5位入賞。ポジションはクルー。177センチ、70キロ。