この人は誰でしょう? プロ野球の名選手、オリンピック(五輪)日本代表、各界の有名人…、あの人たちにもこんな時代がありました。アスリートら北海道関連著名人の北海道時代、若い頃など、日刊スポーツ秘蔵の写真を蔵出しします。あなたは何人わかりますか?(答えは次のページに)
<Q1>
今や米大リーグで75勝を挙げる大投手も、小学生時代は捕手として坂本勇人(巨人)とバッテリーを組み、駒大苫小牧でも1年秋までは捕手だった。写真は04年秋季全道大会決勝の札幌藻岩戦。捕手を務めマウンドでNO・1ポーズ。2年から投手で夏の甲子園制覇、3年夏は早実の斎藤佑樹(日本ハム)と決勝再試合まで投げ合い準優勝。06年高校生ドラフト1巡目で楽天に入団し、13年オフにヤンキースに移籍し渡米した。日米通算174勝78敗。夫人はタレントの里田まい。
<Q2>
元関脇。75年7月の名古屋場所、前頭筆頭で13勝し優勝。写真はその8月に故郷・深川市で行われた優勝パレードのシーン。本名は北村正裕。野球で北海から誘われていたが、二所ノ関部屋に入門し角界へ。64年夏場所で初土俵。69年夏場所で新十両昇進、70年秋場所で新入幕を果たす。幕内在位36場所、三賞3回、金星3個。現役時は184センチ、116キロの怪力で、「北の湖キラー」とも呼ばれた。76年の引退後は同部屋を継承し、08年に日本相撲協会理事に就任。14年8月、65歳で死去した。
<Q3>
南茅部町(現函館市)生まれで、中学卒業後に上京し協栄ジム入りした。17歳だった81年にプロデビューし、フェザー級で東日本新人王獲得。86年に日本同級王者となり、写真は88年7月に札幌で行われた同王座3度目防衛戦前日の練習風景。89年にはWBA世界フェザー級王座に挑戦も、10回KO負けを喫し、同年引退。通算33戦28勝(21KO)5敗。息子の拳士は日本ハム内野手。
<Q4>
遠軽町生まれで、岩見沢緑中から東京・八王子高に進んだ。ライバルで92年バルセロナ五輪女子200メートル平泳ぎ金メダルの岩崎恭子に後れをとったが、高3の96年アトランタ大会で五輪初出場(200メートル平泳ぎ5位)、日大4年の00年シドニー大会400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得した。その後、一線から退くも復帰し、04年アテネ大会で200メートル平泳ぎで4位に入った。今もスポーツコメンテーター、タレントとして活躍している。写真は96年高校総体で岩崎(右)との1コマ。
<Q5>
100、200メートルの日本記録保持者。写真は幕別糠内中3年の03年全道中学200メートルをぶっちぎりで制したシーン。全国でも注目されるも、中学3年の全国中学100、200メートルともに2位。帯広南商3年の高校総体も100メートル2位と“シルバーコレクター”から抜け出せなかった。08年北京五輪で日本女子56年ぶりに100メートルに出場。その後も2度の五輪出場を果たした。18年からセイコーに所属している。
答えは…<1>野球・田中将大(たなか・まさひろ) <2>大相撲・金剛(こんごう) <3>プロボクシング・杉谷満(すぎや・みつる) <4>競泳・田中雅美(たなか・まさみ) <5>陸上・福島千里(ふくしま・ちさと)。