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今日の誕生日

ドロシー・ハミル(1956年) →Pick Up!

時国隼輔(1997年)

日本の男子シングル選手。地元岡山から同志社大へ進学。大学4年で節目となった19年全日本選手権では27位。在学4年間通じて全日本出場を果たした。


PickUp! ドロシー・ハミル

米国の名スケーターが64歳を迎えました。

シカゴ出身のハミルさんは8歳でスケートを始めました。兄弟のホッケー用の靴を借りていたため、最初はつま先に靴下を詰めていたそうです。


ドロシー・ハミル(1971年撮影)
ドロシー・ハミル(1971年撮影)

ハイライトは76年のインスブルック五輪金メダル。ショートプログラム(SP)では体を大きく使い、ダブルアクセル(2回転半ジャンプ)などを着氷させました。ショートヘアの19歳は満面の笑みを見せ、6点満点の芸術点では6・0点を記したジャッジもいました。フリーもトップで金メダルを獲得。全米選手権3連覇、76年の世界選手権初優勝の功績を残し、競技人生に終止符を打ちました。

以降はプロとして活躍し、00年には世界殿堂入り。92年のアルベール五輪前には伊藤みどりさんについて「ヤマグチはうっとりさせるが、伊藤はいすから思わず身を乗り出させる」と称賛するなど、長くスケート界の後輩選手を見つめてきました。スピンをした際にふわりと浮き上がる髪形は「ハミルカット」として親しまれ、実力だけでなく、知名度も抜群の選手でした。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2015年11月27日
2015年11月27日

15年11月、フィギュアスケート・グランプリシリーズ最終戦のNHK杯・女子SPの演技をする宮原知子。


今日の出来事

小塚光彦氏が95歳で死去(2011年)

愛知県スケート連盟顧問を務め、11年世界選手権男子銀メダリストの小塚崇彦氏の祖父光彦氏が26日午前3時、老衰のため名古屋市の介護施設で死去。95歳だった。名古屋市出身の光彦氏は旧満州(現中国東北部)でフィギュアスケート選手として活躍。戦後は愛知県スケート連盟の創設に携わり、フィギュア王国愛知の礎を築いた。長男の嗣彦氏は68年グルノーブル五輪、孫の崇彦氏は10年バンクーバー五輪に出場した。