スピードスケートの全日本距離別選手権は23日、長野市エムウエーブで開幕し、女子3000メートルで2大会連続五輪代表の押切美沙紀(28=富士急)が4分7秒88で初優勝を飾った。

18年平昌五輪(ピョンチャン・オリンピック)で2大会連続出場も、金メダルを獲得した女子団体追い抜きでは補欠。五輪後はケガと気力の低下で、一時引退もよぎったが復帰を決意。同五輪以来、約2年半ぶりの実戦となった今大会で復活優勝を果たした。

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平昌五輪以来、3シーズンぶりの実戦復帰で第1組に入った押切は、心地よい緊張感の中、感覚を呼び覚ますように滑った。中盤のラップは33秒台で安定するなど終盤まで力強い滑りを披露。2位の佐藤綾乃に2秒06差をつけて初優勝が決まると、ナショナルチームのデビットコーチらと抱擁して喜びをかみしめた。「優勝も大事だけど、ここに戻ってこられたことが素直にうれしい。こみあげてくるものがあった。今できる自分のレースは精いっぱいできた」。

22年北京五輪を目指し、約2年半ぶりに競技復帰した。16年8月の練習中に左足の股関節を負傷した影響などで、平昌五輪では金メダルを獲得した女子団体追い抜きで補欠。“5番目の選手”として、チームを支え続けた。小学校の頃から切磋琢磨(せっさたくま)した同学年の高木菜那と「一緒に滑りたい」との思いが強く、表彰式後には妹の美帆から金メダルを首に掛けられると大粒の涙を流した。

五輪後はナショナルチームから離れて、股関節のリハビリに励んだが完治しなかった。精神的にも衰弱し、一時は引退を決意。その時、デビットコーチから「美沙紀には1回休んでも競技復帰する価値はある」と励まされた。実戦からは2シーズン離れたが「もう1度チャレンジしたい」と気持ちが変化。徐々にけがも回復し、プレ五輪シーズンでの復帰を決めた。

「1度離れたことでスケートのありがたさを感じる。前よりも強くなれていると思う」。28歳の苦労人は3度目の大舞台を見据え、さらなる成長を誓った。【峯岸佑樹】

◆押切美沙紀(おしきり・みさき)1992年(平4)9月29日、北海道・中札内村生まれ。小1からスケートを始める。北海道・駒大苫小牧高では11年全国高校選手権で短距離2冠。14年ソチ五輪は団体追い抜き4位、1500メートル22位。17年アジア大会は1500メートル2位。18年平昌五輪は5000メートル9位。趣味は旅行。家族構成は両親と妹。167センチ、50キロ。血液型O。