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今日の誕生日

岡本治子(1945年)

日本の元女子シングル選手。68年グルノーブル五輪代表。引退後は指導者として小林れい子、宮原知子らを育てた。実妹は女優のいしだあゆみと、歌手の石田ゆり。ゆりの夫である作詞家のなかにし礼が書いた「てるてる坊主の照子さん」には春子として登場し、03年のNHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」では春子役を紺野まひるが演じた。

オクサナ・バイウル(1977年)

ウクライナの元女子シングル選手。94年リレハンメル五輪金メダリスト →Pick Up!


Pick Up! オクサナ・バイウル

五輪リンクに鮮烈な印象を残したスケーターが43歳になりました。

ウクライナ生まれ。3歳で競技を始めましたが、家庭環境は厳しいものがありました。両親が離婚し、育ての親の祖父、祖母、さらに母も13歳の時に亡くなり孤児になります。

その時声をかけたのが名伯楽のガリーナ・ズミエフスカヤ・コーチでした。その娘婿で92年アルベールビル五輪男子金メダルのペトレンコも、暖かく支援を続けました。指導の初期にはソ連が崩壊し、ウクライナのリンクのザンボ(整氷車)は壊れたまま放置されたそうです。ペトレンコもバイウルも毎晩スコップを持ち、氷盤を整備したという話が残っています。

国際舞台に登場したのは92年になってから。スケートアメリカで優勝すると、93年の欧州選手権2位、世界選手権で金メダルと駆け上ります。五輪プレシーズンに現れた超新星でした。バレエを礎にした表現力は際立ち、ジャッジ、ファンの心をつかみました。


リレハンメル五輪
リレハンメル五輪

94年2月、リレハンメル五輪。16歳で迎えた晴れ舞台でした。テクニカルプログラム(TP=現在のショートプログラム)は2位。しかし、その後にアクシデントが襲います。翌日の練習で他選手とぶつかり右足のスネを負傷。3センチ、3針を縫うケガでした。

翌日のフリーは痛み止めを打っての演技。「ミュージカル・メドレー」を滑りきり、逆転優勝を果たしました。当時の話題は専ら「襲撃事件」の被害者、加害者だった米国のケリガン、ハーディングでしたが、その中で存在感を放ちました。

当時、伊藤みどりさんは「ひとことでいえばバレリーナですね。滑るというよりも、氷の上で踊っている感じ。クラシックバレエ的な要素を完全に自分のものにしています。演技を見ていて、ほかの選手と違うのは手の指先です」と語っています。

直後に現役を引退し、米国へ移住しました。その後はプロスケーターとしても活躍の場を広げました。


「Figure365」の連載「色あせぬ煌めき」では、中野友加里さんが印象に残る演技として94年リレハンメル大会のTP「白鳥の湖」を挙げています。代名詞「ドーナツスピン」の原点がそこにありました。

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今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2020年10月11日
2020年10月11日

20年10月11日、フィギュアスケート東京選手権・ジュニア男子で優勝した菊地竜生のフリー演技。