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2022年北京五輪(オリンピック)フィギュアスケート アイスダンスフリーダンス(FD)<1年前>

22年2月13日午前10時(日本時間11時)から競技開始予定


今日のイベント

【大会】

<中止>4大陸選手権(オーストラリア・シドニー)


今日の誕生日

タチアナ・タラソワ(1947年)→Pick Up!

ダニエル・オシェイ(1991年)

米国の男子ペア選手。16年全米選手権優勝、18年4大陸選手権優勝。


Pick Up! タチアナ・タラソワ

「金メダルメーカー」。世界のフィギュア界ではその名を知らぬ人はいない名指導者です。

旧ソ連に生まれ、現役時代はペア選手として活躍しました。故障のために18歳の年齢で競技を断念しましたが、コーチとして華々しい成果をリンクに刻んでいきます。


バンクーバー五輪で浅田真央(左)と
バンクーバー五輪で浅田真央(左)と

育てた教え子には、ロドニナ/ザイツェフ組、ベステミノワ/ブキン組、グリシュク/プラトフ組、ゴルデーワ/グリンコフ組、クリモワ/ポノマレンコ組、ヤグディン、クーリック、荒川静香など、種目を問わず金メダリストが並びます。

日本では浅田真央さんのコーチとして注目を浴びました。10年バンクーバー五輪へ向けて師弟関係を築くと、約2年間で濃厚な日々を共にし、銀メダルに導きました。その後に指導を離れましたが、振り付け、アドバイザー的な立場でずっと見守る姿がありました。

「真央は特筆すべき偉大な選手だ。今、自身を高めるのは難しいので、(引退という決断をした)真央は正しい。人生は始まったばかりで、すべてうまくいくよう祈っている」。17年の引退に寄せた言葉は愛に満ちていました。

18年平昌五輪で2連覇を達成した男子の羽生結弦選手との親交も知られています。フリー時には、ロシアのテレビ生中継で解説し、ジャンプの着氷で転倒せずに持ちこたえるたびに「立て」と声を送り、演技を終えると「1位だ。美しい」と称賛しました。

08年に国際スケート連盟(ISU)の殿堂入り。現在も指導者として後進を育てています。


今日の1枚

日刊スポーツが蓄積してきた写真の中から厳選して紹介します。

2021年1月4日
2021年1月4日

21年1月4日、名古屋フィギュアスケートフェスティバルで華麗に演技する友野一希。


今日の出来事

ソルトレークシティー五輪男子SPで本田武史(20=法大)が2位につけ、日本選手としては92年の伊藤みどり以来、男子では初となるメダル獲得を視野に(2002年)

右の拳を2度、力強く振り下ろした。本田の顔に笑みがあふれた。スタンドの拍手に両手を広げて応えた。最高の舞台での最高の演技。「これだけの演技ができた。うれしい」。こみ上げる興奮を静め、全身の震えを抑えて話した。

演技順はヤグディンの直後。「ピリピリした感じだった」。優勝候補の演技に酔いしれたスタンドの余韻を、軽快な演技で吹き飛ばした。「ドンキホーテ」の曲に乗り、五輪では日本人初となる4回転を成功。続けて、3回転、3回転半と鮮やかに跳んだ。要素点、表現点ともに5・6~5・7の高得点。9審判のうち、5人が2位評価した。

ロシア対決といわれた種目で、本田が2位に飛び込んだ。前半2位は、銀メダルに輝いた92年の伊藤みどりの4位を上回る。過去に入賞すらない日本男子にとっては、歴史的な快挙だ。これまで男子のフィギュアといえば、手足が長く、パワーもある欧米勢が上位を独占してきた。日本どころか、アジア勢も獲得したことのない五輪のメダルが見えてきたのだ。

確かに上位選手のミスもあったが、2位折り返しは偶然ではない。昨年の世界選手権では5位。メダルまであと1歩だった。切れのいいジャンプと、正確なスピン。表現力もある。上位への壁は、本田自身の心にあった。別名「プラクティス・チャンピオン」。練習ではだれにも負けない技術を見せるが、本番で成功しない。精神力の弱さが、常につきまとってきた。

15位に終わった長野五輪の翌シーズンからダグ・リー・コーチに師事している。ストイコら世界王者を育てた名コーチに、精神面を鍛えられた。「自信を持て。おまえはできる」。何度も繰り返されたその言葉。「心を強くするのは、一番時間がかかる」と言い続けてきたリー・コーチだが、その成果がようやく出てきた。

演技直前の練習、4回転-3回転のコンビネーションジャンプを試みた。1度目は失敗、2度目は不安定、3度目にピタリと成功した瞬間、リー・コーチは声をかけた。「タケシ、練習は終わりだ」。最高のイメージのままで、本番を迎えた。そして、その通りに成功させた。これも、リー・コーチの「マジック」だった。

現地に入ってから体がよく動いた。高地のせいか逆に体が軽過ぎて、ジャンプが回り過ぎるほどだった。そこで前夜、選手村内を20分ほど走ったという。「わざと疲れさせた方がいいと思って」。冷静な判断と行動。長野五輪のSPの出番前、緊張で青白くなっていた本田は大人になった。

1日置いて行われるのは得意の自由演技。五輪のメダルが見えた。この日の演技後「メダル」の言葉は、あえて口にしなかった。しかし、狙っているのは1つだ。「審判に、本田もできるんじゃん、というのを見せて上位に残りたい」。日本屈指の才能が、ついに表彰台に足をかけた。