女子100メートル自由形で、白血病から復帰した池江璃花子(20=ルネサンス)が、2種目目のオリンピック(五輪)内定を手にした。決勝は53秒98を出して100メートルバタフライに続く2冠を達成。400メートルリレー派遣標準記録54秒42をクリアした。これで400メートルメドレーリレーに続いて代表に内定。女子400メートルリレー予選は東京五輪開会式翌日の7月24日に行われる。池江は、自分の泳ぎで日本チームを勢いづける覚悟を示した。

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池江が、夏の東京五輪をしっかりと見据えた。有言実行の53秒台、53秒98での優勝。400メートルリレーのメンバー4人が決まって「新しいチームでリレーを組めてうれしい。ハイレベルな4人がそろった」と喜んだ。

女子400メートルリレー予選は開会式翌日の7月24日で競泳競技の第1日。リオデジャネイロ五輪も経験しており「初日の流れは日本チームにとって大事。自分がチームを引っ張っていくつもりで。五輪も2回目。この会場でリレーチームを引っ張っていけたらいい」と意気込んだ。

入場時には、右拳をぐっと突き出した。レース前には五十嵐に「前半25秒台でいきます」と告げた。2番手で折り返して一気に加速。センターレーン「4」で先頭を引っ張った。五十嵐は「後半の粘りがすごかった。あとはついていって、4人で(派遣標準記録に)入ることを考えた」。池江は闘病中、「必ずまた同じ舞台に帰ってくるので待っていてください」と五十嵐に約束していた。ともにメンバー入りして抱き合い、笑い合った。

池江の自宅リビングにはテレビボードがある。幼少期から親しんできた雲梯(うんてい)の近くだ。テレビボードの上は、メダル、賞状、トロフィーを飾る場所だった。子どものころから、ひとつのメダルがひとつの喜び。成長しトップ選手になり、その数は増えた。いつも年度末の3月に大きな箱の中に収納して、棚の上を片付けてから、桜が咲く4月を迎える。新年度も喜びがひとつずつ増えていくように、と。

しかし、19年2月からの闘病で棚の上は少し寂しくなった。競泳のものは減っていき、回復を願うお守りやドライフラワーなどが置かれていた。

今年2月、ボードに新しいメダルが飾られた。昨年8月の復帰レースから4試合目のジャパン・オープン50メートル自由形で2位に入ったもの。「第2の水泳人生」初の表彰台。その銀メダルは大切な、そして記憶に残るものになった。

池江は2冠達成にも「こういう結果は狙ってなかった。(五輪まで)数カ月でどこまで体力をつけて記録を伸ばせるか」。今大会は残り2種目で50メートルの自由形と非五輪種目の同バタフライ。3年ぶりの日本選手権で、4冠を予感させる充実。これからテレビボードの上にひとつずつ喜びが増えていく。【益田一弘】

<女子100メートル自由形>

池江とともに2位酒井、3位五十嵐、4位大本も400メートルリレー代表に内定。酒井は「この種目に懸けていた」と自己ベストも含めて喜んだ。五十嵐は800メートルリレーに続く代表で「池江選手が戻ってきてくれて良かった。全員が53秒台を狙って世界に挑戦したい」。大本は個人メドレーの悔しさを胸に「もう自分には自由形しかなかったので」と出し切った。

【競泳の五輪代表選考】個人種目は日本選手権の決勝で日本水連が定める派遣標準記録を突破し、2位以内に入れば代表に決まる。ただし男子個人メドレーの200メートルと400メートルは瀬戸が19年世界選手権で金メダルを獲得し代表に決まっており、残り1枠だった。100メートル、200メートル自由形の4位までと100メートル種目の優勝者は、リレー代表の選考対象。池江は4日の100メートルバタフライで400メートルメドレーリレーの基準を満たした。100メートル自由形は決勝で53秒31を切って2位以内に入れば代表に決まっていたが、クリアできなかった。一方で4位以内に入った上でリレー派遣標準の54秒42をクリアしたため400メートルリレーの代表権を得た。五輪や世界選手権ではリレー要員として選出された選手が個人種目に出ることもある。

◆池江璃花子(いけえ・りかこ)2000年(平12)7月4日、東京都生まれ。15年世界選手権に中学生で代表入り。18年アジア大会で日本勢最多6冠で大会MVP。19年2月に白血病を公表し入院。同12月に退院。171センチ。