2008年北京オリンピック(五輪)バレーボール男子代表のアウトサイドヒッター、福沢達哉(35=パナソニック)が14日、オンライン会見で現役引退を発表した。

6月下旬までイタリア・リミニで行われた国際大会「ネーションズリーグ」に出場したが、東京五輪代表の12人から外れて2度目の五輪出場はかなわなかった。「引退するという過程で悔いは残りますが、やり残したことはありません」と話した。

会見で福沢は時おり涙を見せながら、引退理由を説明。「1年、1年が勝負と思ってやっていく中で、自分の限界が見てみたい。その頂点がオリンピックだった」。五輪代表入りを逃し、これまで支えてくれた妻や清水邦広(34=パナソニック)に報告。今後は社業に専念し、現役時代に培った経験を生かしスポーツビジネスの分野などで貢献したいと意欲を見せた。

福沢は京都・洛南高-中大へ進学し、中大4年時に08年北京五輪に出場。清水(当時東海大4年)と並んで、代表メンバーの中では最年少で選出された。

初めて挑んだ五輪は5戦全敗。そこで味わった悔しさが現役を続ける原動力になった。オリンピックの舞台で勝つために海外に身を置き、さらに一皮むけたいと2カ国(ブラジル、フランス)でプレー。ベテランの域に達しても、向上心は衰えなかった。

コロナ禍の今季はフランス1部リーグ・パリバレーでプレー。決断の背景には「納得できる形でもう1年やってほしい」という妻や4人の娘からの後押しがあった。「妻に相談した時も一貫して、『あなたがやりたいようにやって』と。その応援が支えになっていたのは間違いありません」。五輪代表入りを逃した後に家族と再会した際に「娘たちが『パパ、お疲れさま』と言ってくれて」と照れくさそうに笑った。

代表争いを勝ち抜いた12人へ、福沢は「選ばれた選手は今現時点で日本男子の最高メンバー。東京五輪での活躍が今後のバレー界にとっても大事になる」と指摘。応援する側の1人として注目していきたいとエールを送った。【平山連】

 

◆福沢達哉(ふくざわ・たつや)1986年(昭61)7月1日、京都市生まれ。京都・洛南高-中大卒業後、パナソニック入団。1年目から主力として活躍し、新人賞など受賞。日本代表では最優秀選手賞やベストスパイカー賞に選ばれるなど長年チームを支えた。15-16シーズンにブラジル、19-20と20-21シーズンにフランスでプレー。口癖は「VAMOS」。プレー以外の特技は子育て。189センチ、88キロ。最高到達点355センチ。