先日、ある競技の20代の選手と話していて、少し驚いた。その選手は、31日に衆院選が行われることを知らなかったのだ。政治への無関心や、諦めなどは多いが、開催事実を知らないというのは、ちょっと予想外だった。

選手は「何ですか、それ?」と聞いてきた。選手はテレビを持っておらず、もちろん新聞など取っていない、“今どき”と言われる20代だ。すべての情報は伝達か、スマホだという。「政治のニュースなど、全く見ない」と言っていた。自分の20代を考えれば、同じような感覚だったとも思う。

新型コロナウイルスの感染拡大で、功罪の功があるとすれば、国民と政治の関係が身近になったというのがあるのではないか。ワクチン接種など、まさに典型であり、東京オリンピック・パラリンピック(オリパラ)開催への賛否も、いい意味でも悪い意味でもスポーツと政治の関係性を考えさせた。

以前にも書いたが、オリパラが終われば、もうスポーツへの国の関心は何もなかったことのようだ。衆院選の公約にも、スポーツのことなど、どこにもない。冒頭の選手が、政治とスポーツの関係を感じられないのも無理からぬことなのかもしれない。

日本のスポーツ界には、モスクワ五輪ボイコットのトラウマもある。冷戦という政治がスポーツに介入したことで、日本は参加を見送った。それ以来、スポーツと政治は距離を取るべきという金科玉条が高らかにうたわれている。

先日、俳優の小栗旬、二階堂ふみら、芸能人、文化人ら14人が「VOICE PROJECT 投票はあなたの声」という動画が投稿された。賛否は別として、スポーツ界でも、同じようなことが起きないのかととっさに思った。

16年に小池百合子都知事が誕生し、東京五輪の予算削減の一環として、会場計画の見直しを掲げた。その時、国内競技団体関係者の多くは反対し、予定通り、新設や改修の会場を欲した。赤字経営になろうと、使用する競技団体は身銭を切るわけでもなく、痛みを共有しない。

自ら能動的に動いたり、アクションを起こすことはせず、常に受容するだけの態度では、衆院選を知らなかった選手が生まれるのも致し方がない。「誰もが身近なスポーツから考え、それを広めていこう」。それが、オリパラのレガシーだと言っていたのではなかったのか。【吉松忠弘】