ショートプログラム(SP)首位の坂本花織(21=シスメックス)が3年ぶり2度目の優勝を飾り、22年北京オリンピック(五輪)代表に内定した。

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フリーもトップの154・83点を記録し、合計234・06点。6位入賞だった18年平昌五輪に続き、低迷した時期を乗り越えて、2大会連続の切符を手にした。SP2位の樋口新葉(20=明大)が221・78点で2位に入り、初の五輪代表が決定的。同3位の河辺愛菜(17=木下アカデミー)が209・65点で3位になり、26日に発表される五輪代表入りが有力となった。

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重圧も、緊張も、堂々と乗り越えた。最終滑走の坂本は右拳を2度振り、笑った。高く、ふんわりと浮いたフリップ-トーループの連続3回転に、ジャッジ9人中4人が出来栄えで最高の5点をつけた。演技構成点は「表現」の9・54点を筆頭に、全5項目で10点満点の9点台。国際スケート連盟(ISU)非公認ながら自己最高点を確認すると、今度は涙があふれ出た。

「これ以上ないうれしさを感じていて、今は幸せでいっぱい。目標にしていた一発内定を、有言実行できて、スカッとしています」

変わったことがある。「今年は優勝して内定を決めたい。それは4年前に全然なかった」。シニア1年目の17年。グランプリ(GP)シリーズ初陣のフリーで、開始時にSPのポーズを取り「空気にのまれた」と泣いた。無我夢中で駆け上がり、全日本2位で2枠の五輪切符をつかみ取った。

あの勢いは長く続かなかった。19年は全日本6位。ジャンプの高難度化が進むロシア勢と数字の計算で比較し「できるもんがそもそも違う」とため息をついた。転機は新型コロナウイルスの影響でリンクが使えなかった昨春。最初は「オフすんぞ~!」と羽を伸ばしたが、3日で飽きた。スケートへの情熱が再燃し、人生を振り返って思った。

「もう、そんなに選手人生は長くない。数年後に『あん時、頑張って良かった』と思える人生にしたい」

変わらなかったこともある。コロナ禍はフランスの振付師リショー氏とリモートでつなぎ、自宅近くの公園で踊った。のちに「蚊にかまれて大変やった~」と笑った。1人暮らしを始め、愛車は軽自動車の「ミラトコット」。周囲の大学生と同様に自立し、中野コーチも「『普通の子』であり続けられるのがいいこと」と教え子の魅力を明かす。

2度目の五輪。辛口の中野コーチは「まだスピードが少しない。今まで通りガミガミ言う」と目を光らせ「メダルを取れるように、まずは団体戦を頑張りたい」と見据えた。伝え聞いた坂本は「五輪では1・5倍速! 吹っ飛んでまうわ~」と笑い、こう誓った。

「4年前は団体戦も個人も、ちょっとしたミスをした。今回はどれも、パーフェクトにしたいです!」

1カ月半後、北京の地でもう1度笑う。【松本航】