初の決勝進出を目指した京産大(関西1位)が、4強で散った。優勝候補の帝京大(関東対抗戦1位)を土俵際まで追い詰めながら、残り時間8分で逆転を許し30-37で敗れた。

前半終了間際にモールから20メートル以上押し込んでトライを奪うなど見せ場を作ったが、後半は選手を入れ替えた相手に看板のスクラムで重圧を受け、層の厚さを見せつけられた。決勝(9日、国立)は、帝京大-明大(対抗戦3位)となった。

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国立を照らす夕日が涙でにじんで見えた。15大会ぶりに正月の準決勝に戻ってきた京産大が下馬評を覆して前半を23-10で折り返し、後半30分すぎまでリードする展開。17年度まで9連覇した優勝候補のスター軍団を追い詰める姿に、国立は沸いた。同32分にPGで同点とされ、シンビン(一時退場)で14人になった同38分にトライとゴールを許した。初の決勝まであと1歩、わずかの差だった。

「何とか歴史をつくりたかった。十分に勝てるチャンスはありました。我々の理念はどんな戦力、環境であれチャンピオンシップを目指すこと。ひたむきに前に出て、向かっていった選手を頼もしく思う」

今季から指揮を執るOBで元日本代表SOの広瀬佳司監督は、努力を続けてきた選手を褒めた。FW第1列は交代した2人を含め5人全員が高校時代は花園経験なし。広瀬監督と居残り練習を毎日続け、この日もPGを全て決めたFB竹下拓己は東福岡では控え。2年生WTB船曳涼太も全国大会とは無縁だった。昨季、関西勢として36大会ぶりに日本一に立った天理大と12月に合同練習を行い“関西2連覇”を目指したが、またしても4強の壁を破れなかった。

泥にまみれ、赤紺のジャージーは汗で変色していた。プロップ平野叶翔主将は涙をにじませながら「僕らは(天理大に)勇気をもらった。身近な選手、友だちを倒せば優勝が見えるんだ、と。やってきたことに間違いはなかった」。船曳は「もう1度国立に立って次は笑顔で終わりたい」。広瀬監督は12月末に比叡山に登り、明王堂に大阿闍梨(あじゃり)を訪ねた。関西でも勝てなかった40年以上前から、大西健元監督が続けてきた伝統を継承する。2、3年生が多いチーム。来季こそ、悲願の日本一へ。望みは託された。【益子浩一】

◆京産大の大学選手権 最高成績が4強で今回が8度目だった。83年度に初めて準決勝進出。この日も先発したフランカー三木皓正(2年=京都成章)の父康司さんがNO8として90年度に準決勝に進み、WTB吉田義人、CTB元木由記雄(現京産大GM)らを擁する明大に15-29で敗れた。SO広瀬(現監督)が2、3年時(93、94年度)も4強進出。FB大畑が4年時の97年度が最も日本一に近いと言われ、準々決勝で早大に69-18で大勝した。しかし準決勝で初優勝する関東学院大に38-46で敗れている。