来夏のパリオリンピック(五輪)まで1年を切った。
体操の橋本大輝(21=順大)が、東京五輪で史上最年少(19歳11カ月)の個人総合王者となったのは2年前。「母国で頂点に立った。競技人生でこれ以上の結果はない」。そう言い切る中で今、競技を長く続けたいと語る意欲の源泉は何か。「楽しさ」の価値、体操の潜在力を信じる理由、そして目指す姿-。若き王者のリアルを聞いた。【取材・構成=阿部健吾】
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■ショックだった言葉
5月のNHK杯前日練習取材が終わった後だった。橋本がぽつりと口にした言葉があった。
「母国開催の東京で金メダルを取って、競技者として結果だけ見れば、これ以上のことがない。あとは楽しさをうまく伝えたい、それを考えてますね」
20歳直前に勝ち得た世界の頂点。約2年がたち、視線は定まっていた。
「子どもたちが楽しそうにできる取り組みが、今は必要なのかなと思うんです。スポーツの価値を考えた中で一番良いことは、子供たち、子供たち以外もですけど、やりたいと思えること、必要性を見つけてあげることかなと」
開催に反対する声もある中で、無観客で実施された東京大会。前後して、スポーツが持つ価値は何かという模索は、全体の課題でもある。19歳で頂点に立ってから、体操競技の看板選手の自負も抱え、橋本は熟考を続けていた。
順大の授業で教授から言われたひと言があったという。「オリンピアンが体操教室をやりますと言った時に来る子たちは、体操をやってる子たちだよね」。伝える場に競技の枠がはめられ、五輪の称号によっても制限を受ける-。その現実はショックな事実だった。
「体操教室だけど体操を教えない、そんな感じが実はいいのかなと。だからこそ、自分のネームバリューではなく、運動の楽しさを、どう伝えられるかを考えるようになりました」
自身の経験が、確信の助けとなった。今年1月に腰の疲労骨折が判明。復帰過程での地道な基礎練習の中で、原体験を再認識した。
「本当に基礎練習を楽しんで出来た。技が出来るのが楽しいのではなく、基礎でうまくなるのが楽しいと気付けた。それが体操の楽しさなんですよね」
運動初心者にとっては、それは前転や側転などかもしれない。難度が上がり続け“超人化”が加速する体操競技は、初歩的な楽しさからの地続きを感じさせなくなってきている。その間をつなぎたい。
「(出身の)佐原ジュニアに顔を出すと、競技器具を使わないで、楽しそうに跳ねまわる子どもがいます。週1回、体操教室をやっているんです。身近な子を誘ってやってることは、地域の活性化にもつながります」
過疎化が進む田舎、千葉・香取市のクラブだからこそ、より一層、その笑顔が貴重に感じる。日本協会調べの競技人口は、減少傾向という現実もある(※)。
「それは仕方ないと思います。ですが、競技の枠で考えず、体操として考えたいなと。どのスポーツにも体操の動きが結びつけられる可能性はある。今、元五輪選手が体操教室を始める流れも増えてます」
従来は元選手は競技者を育てるのが慣例だったが、今は“運動そのもの”にフォーカスが移る傾向がある。
「長い目で見て、取り組みを変えていきたい。楽しさがあって好きにつながると思う。続けられる一番の要因ですよね。その先に競技があれば」
■一石二鳥の練習
「長い目という話だと、ケガも一緒ですよね」
技の高度化に伴い、慢性的に痛みを抱える選手は多い。ケガのリスクの高さは、新たに始めようとする人を妨げる一因だろう。そこにも実体験に伴う現在進行形の取り組みがある。
「体がちゃんと動くと、意外と難しい技が原理通りに動くってことは分かってきてるので。腰のケガがあった時、自分は胸骨が動かないので、ちゃんと動かすトレーニングを1から全部組み立てて。今まで負担があった箇所をなくしながら、正しい動きを覚える、一石二鳥の練習ができるようになりました」
体を操る。難度が上がっても、その理解度を深めれば対策はとれる。それには「長い目」が必要だ。
「まだまだですね。工夫できるところはすごくある。現役生活を長く続けていきたいので、体のことを知ることが大事ですね。技の難度が高度化してるからこそ、自分が出来ないことが出来るうれしさは、さらに出来ていく。向上心も変わらず持てるのかなと」
競技以前の運動の楽しさ、前転や側転などに見いだす、出来る喜び。今取り組む技は、そのはるか先にあるが、決して断絶はしていない。体現するために、今あらためて体の操り方と向き合う。それが世界の体操競技の顔として、スポーツの価値を伝えることにつながると確信する。
■「まだ21歳だけどね」
今は大学4年。
「競技優先でもあり、限られた時間ですけど、どういったことが必要なのかなとはすごく考えます」
社会人となって迎える来夏のパリ大会。話を振ると、すっと答えた。
「パリはもうちゃんと明確に見えているからこそ、考えることができる」
残りは1年、秋には個人総合2連覇がかかる世界選手権(ベルギー)も控える。五輪3連覇という、東京で王者となった後の宣言は、揺るがない。同時に、日々の思索は楽しさを伝える追求に向かう。
「いろんな人から『体操の未来頼んだぞ』って言われると、頑張んなきゃって思いますけど(笑顔)。託してくれるのはうれしいですし、まだ21歳だけどね、と頭の中で突っ込みながらも、そんなこと言ってられないじゃないですか。体操のためにどういうことが必要なのか、それを明確にしていかないと」
東京大会を契機に、五輪を取り巻く環境は大きく変容した。何のために競技をするのかを問う、問われる機会は多いだろう。その中で、強く確信する。
「すごく楽しく好きにできることは、自分の強みかなって思っています。その姿を見せ続けたいですね」
その言葉には、楽しさからイメージする軽やかさとは対照的な、若き王者の覚悟が詰まっていた。
(※)=日本協会発表資料では、22年度の体操競技の登録者は男性5270人、女性6084人の合計1万1354人。10年前の12年度は1万3199人で、人口が増えた年度もあったが、長期的には減少傾向にある。
◆橋本大輝(はしもと・だいき)2001年(平13)8月7日、千葉県成田市生まれ。6歳で佐原ジュニアで競技を開始。中学まで世代別代表経験はなかったが、千葉・市立船橋高入学後に急成長。高校生として史上2人目の出場となった19年世界選手権で団体総合銅に貢献。20年順大入学。21年の全日本選手権とNHK杯で初優勝し、東京五輪代表に。個人総合の金メダルは日本体操界通算100個目のメダル、種目別鉄棒での金メダルは101個目となった。22年世界選手権では個人総合初制覇。五輪との2冠は日本では内村航平以来2人目だった。167センチ。
◆100年ぶりの開催となるパリ大会は32競技329種目が行われる。東京大会から野球・ソフトボール、空手が除外され、新たにブレイキンが加わった。初めて男女の選手数が5250人で同数となる。会場は98年サッカーW杯決勝が行われたフランス競技場をメインスタジアムに、パリ市を中心に配された(ハンドボール、セーリング、射撃、サッカーなど一部はパリ以外でも開催)。サーフィンはフランス領タヒチ島で開かれる。セーヌ川で催し、選手は船で入場行進する開会式では60万人の観客を見込む。