大相撲の元小結で、右膝のけがで東幕下7枚目に落ちていた豊真将(33=錣山)が初場所6日目の16日、日本相撲協会に引退届を提出した。同日の持ち回り理事会で年寄「立田川」の襲名も承認された。

 昨年名古屋場所で日馬富士に押し倒された際に右膝を負傷。8月2日に手術を受けた。復帰を目指してリハビリに励んできたが、再出場はかなわないまま、引退の道を選んだ。

 元エリートであり、挫折も味わった苦労人だった。山口・下関市で育った豊真将は小2で相撲を始め、名門の埼玉栄高に相撲留学。日大相撲部では1年からレギュラーになった。だが、同1年の00年11月に両足に蜂萵(ほうか)織炎を患い退部。警備員やとび職のアルバイトをして3年間、相撲から離れた。

 アルバイト先の会社社長を通して、1カ月前に独立したばかりの錣山親方(元関脇寺尾)に誘われ、04年春場所で初土俵。年齢は22歳11カ月で、新弟子の年齢規定23歳未満のギリギリだった。

 06年夏場所で貴乃花、武蔵丸、旭富士ら元横綱に並ぶ史上9位タイ(当時)の所要13場所で新入幕を果たすと、3度の準優勝を経験し、2度の技能賞、5度の敢闘賞を受賞した。

 上位の壁には跳ね返され続けたが、5度目の前頭筆頭で2ケタ白星を挙げて、11年九州場所で、年6場所制になった58年以降4番目に年長(当時)の30歳6カ月で新三役となった。

 近年は、幾多のけがや網膜剥離などに悩まされた。

 土俵上の所作がきれいなことで知られ、ぶつかりげいこでは、現役時代は「鉄人」の異名を取った錣山親方の肋骨(ろっこつ)を3度も折った伝説も持っている。