今年のドラフト候補で最も速い球を投げる投手は、広島を単独逆指名(2位)した専大・黒田博樹(21=上宮)だ。今季、神宮球場で2度、150キロをマーク。担当の苑田スカウトは「まだ速くなる」と太鼓判を押す。黒田がこれほどの快速球投手となった裏に、両親の存在があった。

 父一博さん(72)は、南海の中堅手としてパ・リーグ3連覇も経験した元プロ野球選手。強肩が持ち味だった。「走者二塁で中前打が出たとき、相手は必ず三塁でストップしたものですよ」。また、母靖子さん(54)は、陸上の砲丸投げで東京五輪の強化合宿に選出されている。ともに肩は故障知らず。黒田の地肩の強さの秘密はここにあった。

 黒田の野球の基礎をつくったのは一博さんだった。黒田が小学5年になると、「本気で野球をやるなら、しっかり見てやりたかった」と、少年野球チーム「オール住之江」を結成し、中学を卒業するまでの5年間を指導した。モットーは「技術は二の次で、基本を鍛える」。投球フォームはオーソドックスな上投げにし、その場しのぎの「小手先の技術」は教えなかった。勝利至上に走りがちなチームが多い中、基本重視の思想は頑として曲げなかった。

 人間的には「努力」を重んじた。黒田が中学3年の夏合宿の時、練習後に宿舎までの山道をダッシュさせた。一博さんが車で様子を見に行くと、下級生がジュースを飲んでいる。問いただすと、「黒田さんに買ってこいと命じられた」という。普段は手を上げない一博さんだが、この時ばかりはスリッパで黒田の顔をひっぱたいた。「いい加減に野球をやるのが許せなくてね。プロに入っても、一番大事なのは自分で努力することでしょう」。

 高校入学と同時に父の手を離れた黒田は、上宮で控え投手、専大では3年秋まで東都2部リーグと不遇の時を過ごした。この間、黒田は多くの人からフォーム矯正の助言を受けたが、「基本をマスターする」という父の教えは守り続けた。それが今、生きている。一博さんは、「プロは厳しい世界だが、私も息子を甘く育てたつもりはない。やってくれると信じていますよ」。信念を曲げるな、と父が教え続け、それを受けて育った息子。本当の答えが出るのはこれからだ。【ドラフト取材班】

 ◆黒田博樹(くろだ・ひろき) 1975年(昭50)2月10日、大阪府生まれ。小1から野球を始め、上宮から専大へ。今秋リーグ戦3勝2敗で、1部通算成績は2シーズン15試合で6勝4敗。184センチ、73キロ。右投げ右打ち。