プレーバック日刊スポーツ! 過去の7月20日付紙面を振り返ります。1991年の1面(東京版)は巨人、8点差逆転負けでファンがプッツンでした。

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<中日9-8巨人>◇1991年7月20日◇ナゴヤ球場

 巨人ファン騒然、ナゴヤ球場が荒れに荒れた。ゲームは延長10回、中村のサヨナラアーチで決着したが、ファンの怒りの矛先は巨人のふがいない戦いぶり。7回表まで8-0とリードしながら、8回裏にライアルの適時打、中村の代打満塁アーチで同点にされた揚げ句のサヨナラ負け。巨人の帰宿用バスは球場付近に座り込んだファン約1000人に出口を封じられ約17分間の立ち往生、さらに移動するバスのフロントガラスを割った会社員が名古屋・中川署に現行犯逮捕されるなど緊迫ムードだった。

 巨人軍球団史上に汚点を残す8点差大逆転負け。ナゴヤ球場の巨人ファンは怒りに暴徒と化した。左翼後方の選手バス出口。黒いジャンパーを着た応援団3人が出口の扉をドンドンたたき、出口前に抗議の座り込み。「轢(ひ)くんなら轢け! ふざけた試合やりやがって。何やってんだ!」。中川署員、警備員の制止にも座り込み、応援団は頑として動こうとしない。その周りを1000人近い見物客が取り巻く。

 午後11時10分に悲痛な面持ちで帰りのバスに乗り込んだ藤田監督、選手。しかし、バスが動き出したのは17分後。10人を超す警察官、警備員がロープで出口に道をつくり、怒号渦巻くパニックの中を強行突破に出た。バスが出口から姿を見せると、ロープをくぐり抜けたファンがバス目がけて突進。Gファンのバスを蹴る「ドスン、ドスン」という音が響きわたった。水筒が投げられ、メガホンもバスに飛んでくる。フロントガラスは、突進してきたファンのこぶしでヒビが入った。

 カーテンで窓を閉ざした暗い車内。藤田監督はじめ原辰、岡崎も押し黙ったまま、ファンの怒りの叫びを聞いているだけ。G党の怒りもすさまじかったが、それ以上にGナインも悔しかったに違いない。

 7回に4点を奪い8-0と一方的にリード。ところが8回、槙原が1死満塁からライアルに2点打を浴び降板。ここでリリーフした木田が2四球で押し出しの1点を献上した後、代打中村によもやの同点満塁アーチ。延長10回にはストッパー水野が中村にフォークのすっぽ抜けを左翼席に運ばれて悪夢のサヨナラ負け。

 これで首位中日とは7・5ゲーム差。球宴まで「5ゲーム差以内」としていた逆転V圏内からはじき飛ばされてしまった。「選手はみんな全力でやっているんだ。あそこで(木田を)使った監督が悪いんだ」。藤田監督は今季初めて自らのさい配を責めたが、口調には絶望感が漂っていた。

※記録や表記は当時のもの