30代のうち8年間、取材の軸足を巨人軍に置いていた。「大変だった」「鍛えてもらった」の2つが、ほとんど同じ幅で振れている。

 親会社が新聞社の影響もあろう。コツコツ積み上げていった取材を、最後の最後で大切にしてくれる一面がある。球団には記者あがりの方も多く、取材の上であれば、書かれても動じない太さがある。老舗らしい質実さが好きだった。

 繰り返すが親会社は新聞社で、記者あがりの方も多い。情報には厳重なロックがかかっている。五里霧中の無力感にさいなまれ、「もう勘弁」「無理」とか思った日もたくさんある。ただ、巨人が持つダイナミズムは、昔も今も確かに存在する。大きなうねりの中でしか学べないことはある。

 最後の2年間は東京・大手町の球団事務所が主な仕事場だった。事務所は、読売新聞東京本社の中にある。と言っても、我々は気安く中に入れない。

 事務所機能はビルの高層にあり、厳重なセキュリティーチェックが必要。記者室は低層のパブリックスペース内にあり、そこまでのチェックは不要。警備の関係などから当たり前だが、取材者はキチッとした申請なしでは高層に行けない。日々の取材をしたいのであれば、社屋の周辺でつかまえるしかない。

 大手町駅は地下鉄が複数、乗り入れている。JR東京駅からも徒歩圏内。どういった通勤ルートを使うのか。定時出勤か、不規則か。そもそも、朝から取材に応じてくれる人なのか。取材に関わる全員の行動を把握することから始めた。

 お昼時、帰宅時も接触するチャンスはある。裏の通用口と往復し、車両も確認する。人の出入りを1日中じっと見ている姿は不審者そのもの。まして会社の顔であるロビー近辺でうろつくのは業務妨害もいいところ。そんな不気味な活動を認めてくれる懐があった。

 最初から会釈に応じてくれる方がほとんどで、ガードマンにも周知されていたのだろう。顔を認証し、空気のように扱ってくれる。「寛大だなぁ」と思いつつ、往来のパターンを頭に入れていった。

 対象者の行動をほぼ網羅するのに数カ月を要した。接点を持たなければ何も始まらない。古典的だが「足で稼ぐ取材」に徹しようと決めた。平日は毎朝ネクタイを締め、同じ時間、同じ車両の地下鉄に乗る。大手町で下車してアイスコーヒーを飲み、一服し、同じ時間、同じ場所で待ち受けるようにした。

 定時出勤。不惑を前にして初めて、社会人としてごく当たり前の事をした。すし詰めの車両は顔ぶれも立ち位置も同じ。皆さん無表情で受け入れている。ビルの谷間から見える工事現場は、毎日少しずつ足場が高くなっていく。日本人はかくも勤勉、1人1人が社会を支えていると今更ながら知った。

 大手町は四季が豊かであることも知った。皇居が近く、道路沿いの並木もしっかり根を張っている。梅雨時はお堀の土手から草いきれのにおいがする。夏はスズメバチに追われたこともある。真冬、並木の手入れに来た庭師が肥料を与えると、地中に冬眠? していたなぞの昆虫が無数に湧き上がってきたことも…。

 自分が動かなければ周囲が流れていく。定点での気付きは多い。動き回るだけが「足で稼ぐ」じゃない。立ち続ける。これだって足で稼いでいることになる。

 業界用語でいう「立ちんぼ」を続けて1年をすぎると、道行く関係者の反応が少しずつ変わってきた。(つづく)【宮下敬至】