42歳の青年監督が5度、宙に舞った。ヤングレオ軍団を率いる、伊東勤監督の「一丸野球」が開花した。3勝3敗の五分で迎えた敵地での最終決戦。3回にカブレラの1発などで5点を先制。投げては先発石井貴が6回無失点でシリーズ2勝目。8回からはエース松坂を連投で起用し、最後は守護神・豊田を投入する豪華リレーで逃げ切った。50年ぶり日本一をもくろんだ中日を打ち砕き、西武が12年ぶり12度目の頂点に。球界再編で揺れた04年シーズンの幕が下りた。

 カブレラがウイニングボールをつかむ。ナインがマウンドに駆け寄る。伊東監督は、少し遅れて歓喜の輪に向かった。ナゴヤドームの天井が、近づいては離れて行く。2度目の胴上げは5度。リーグ優勝より1回多い浮遊感覚に、すべての疲れが吹き飛んでいた。

 普段は冷静な指揮官が、お立ち台で最後に雄たけびを上げた。「勝ったぞー!」。就任1年目の伊東監督が日本一を奪い取った。リーグ2位から2度のプレーオフを勝ち抜き、中日も撃破。それもすべて最終戦にもつれこむ死闘だ。選手時代に7度、味わった頂点の座。チーム12年ぶり、監督として初めて味わう美酒は、格別のものだった。

 少し声を詰まらせながら振り返る。「ここまで来るには日本ハムに勝ちまして、ダイエーにも。感謝してますし、シリーズの中日にも感謝してます。今ここにいることが信じられないんですが、感謝したいと思います」。最も好きな「感謝」という言葉が、何度も口をついて出た。

 悔いは残したくない。できることは、すべてやる。シリーズ中、関係者に投打走とも「中日が上」と吐露していた。だからこそ石橋をたたく継投に出た。前日134球を投げた松坂を8回から投入した。「あの点差だったけど、早めにトヨ(豊田)の前につなごうと思っていた」。シーズン中には考えられない仰天継投は、信頼感の高い投手を逆算して投入する、熟慮の末の采配だった。

 00年4月23日。選手として2000試合出場を達成した試合で、松坂の球を受けた。試合後、野球人としての「喜び」について「最近は松坂くんとバッテリーを組むことかな」と言っている。常勝時代、幾多の名投手の球を受けてきたが「(松坂は)5本の指に入る」。日本球界を背負うエースになってもらいたい、最高の喜びを味わわせたい-。チームを支えてくれた右腕への、感謝の連投指令でもあった。

 チーム初の生え抜き監督だった。昨年10月、堤オーナーと会談した際「ずっとやっていただいた方がいいと思います」と“永久政権”を示唆された。その直後、堤氏は球団関係者に「私が伊東をかわいがっていることが伝わっただろうか」と、もらしている。愛情を注がれたが、西武鉄道の問題で、同オーナーは今シリーズ後の辞任を表明していた。日本一が、せめてもの恩返し、そして「感謝」のしるしだった。

 148試合目。シビアな日々が終わった。「すべてうまくいったというか。選手たちが、ついてきてくれたというか、それに尽きると思います」と選手をほめあげた。2位からの日本一は、常勝復活の始まりを予感させる。いくつもの課題を克服しながら、強くなってきたヤングレオ軍団。伊東監督の心は、ファン、そして選手への感謝の念であふれていたに違いない。【今井貴久】

 ▼西武が92年以来、西鉄時代を含め12度目の日本シリーズ優勝。シリーズで2勝3敗から連勝して逆転日本一は史上10度目だが、そのうち西武は58年巨人戦、83年巨人戦、86年広島戦、91年広島戦に次いで5度目。逆王手から優勝は巨人の2度を上回り西武が最も多い。伊東監督は就任1年目で日本一。新人監督の優勝は02年原監督(巨人)以来7人目で、王手をかけられてから逆転Vは3連敗後に4連勝した86年森監督(西武)に次いで2人目だ。伊東監督は今年42歳。日本シリーズ優勝監督は21人目だが、42歳以下は38~40歳の上田監督(阪急)41歳の川上監督(巨人)と金田監督(ロッテ)42歳の水原監督(巨人)に次いで5人目。

 ▼石井貴が2勝目を挙げMVPを獲得。今シリーズの石井貴は通算13イニングを投げて被安打5本で無失点。1シリーズで10イニング以上投げて失点0は、66年益田(巨人=12回)97年石井一(ヤクルト=11回)に次いで3人目になる。石井貴は今季公式戦で1勝しただけ。公式戦2勝でシリーズ2勝は69年足立(阪急)が<2>戦で救援勝利と5戦で完投勝利、81年工藤(日本ハム)が1戦と3戦で救援勝利を挙げているが、公式戦1勝投手がシリーズ2勝は初めて。また、過去のシリーズMVP投手は全員が公式戦で10勝以上挙げており、公式戦1勝でシリーズMVPも初めてだ。(2004年10月26日付日刊スポーツ)