騒動終結…と思ったら、思わぬところから強烈な“最後っ屁”が飛び出した。日本野球機構(NPB)は25日、統一球問題を調査した第三者委員会の報告書を公表。関係者の処分も発表し、一連の問題に1つの区切りをつけた。だが、その直後、同日付でコミッショナーを辞任した加藤良三氏(72)が反論文を発表。コミッショナーの責任を指摘した報告書について「結論ありきで作成されたもの」などと主張し、7ページにわたって第三者委に対する怒りの思いをぶちまけた。

 NPBは午後3時に公式サイトで第三者委の報告書を公開した。同時に秘密裏に統一球変更を進めた下田事務局長ら関係者の処分も発表し、一連の騒動に区切りをつけた。しかし“あの人”は怒りのマグマをためていたようだ。引責によりこの日付で退任した加藤氏は夕方、「報告書に対する私個人としての考え」として7ページの文書をマスコミ各社に送り、第三者委に対し猛反論を展開した。

 加藤氏は、元最高裁判事の那須弘平委員長ら法曹界の重鎮たちが作成した報告書に“ダメ出し”した。統一球の仕様変更を事前に知らされていなかったと主張し続けたコミッショナーに、第三者委は「責任を免れないと言わざるを得ない」と結論づけた。これに対し報告書の問題点を列挙した上で「私が統一球の仕様変更を知っていた疑いがあることの根拠として挙げられている事情は、いずれも合理的に判断すればおよそ根拠になり得ないものばかりです」「私に重大な責任があったことを認定するという結論ありきで作成されたものと思われ、その推論は恣意(しい)的かつ不合理であるというほかありません」と指摘した。

 加藤氏は外務省のエリート街道を歩んだ元外交官。そのプライドを引き裂かれるような記述も、怒りの火に油を注いだようだ。「報告書はわざわざ私の駐米大使としての経歴を持ち出していますが、私を嘲笑する意図すら感じられるところ」とし「中立公正であるべき第三者委員会の報告書としては極めて不適切な記載と言わざるを得ません」と、不快感を示した。

 加藤氏は反論文の最後を「今後はプロ野球の外から日本の野球を応援し、日本野球のさらなる発展を見守り、願っていきたいと考えています」と結んだ。しかし、日本シリーズ開幕前日。NPBが主催する最大のイベントを前に、盛り上がりに水を差すタイミングといえる。報告書を公開する時期をこの日に選んだNPBにも責任はある。本当に新しい組織に生まれ変われるのだろうか。今後に不安を抱かせる、統一球問題の幕引きとなった。【広瀬雷太】<統一球問題経緯>

 ◆発覚

 NPBと選手会が6月11日に事務折衝。下田事務局長が、今季から秘密裏に統一球の反発係数を調整し、ミズノにも虚偽の回答を指示していたと明かす。

 ◆釈明

 加藤コミッショナー(C)が同12日に会見し「私は昨日まで全く知らなかった」と釈明。

 ◆第三者委員会

 同14日、12球団代表者会議を臨時開催。調査のため第三者委員会設置を決定。加藤Cは「大変な失態」と態度を変える。

 ◆メンバー決定

 同24日、第三者委員会のメンバーに元最高裁判事の那須弘平弁護士ら3人が決まる。桑田真澄氏が特別アドバイザーに就任。

 ◆要求

 同27日、選手会の松原事務局長が、NPB事務局に統一球問題に関する要望書提出。新コミッショナーのもとで組織構造改革するべきと指摘。

 ◆不信任

 7月19日、選手会が臨時大会でコミッショナー不信任を選手全員で確認。

 ◆辞任表明

 9月19日、加藤Cがオーナー会議で、統一球問題の責任を取って今季のレギュラーシーズン終了後に辞任すると表明。

 ◆報告

 第三者委員会が同27日、12球団の代表者に最終報告。仕様変更を「まったく知らなかった」とする加藤Cの主張は覆せなかったが「混乱を招いた責任を免れることは許されず」と責任追及。

 ◆追加報告要請

 10月2日の臨時オーナー会議で第三者委に追加のヒアリング調査を要請。

 ◆代行

 同21日、臨時オーナー会議で後任コミッショナーを協議。暫定的にオリックス宮内オーナーが12月31日まで代行すると決定。