三沢さんが、満面の笑みで旅立った。13日の試合で急死したノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(享年46)の告別式が19日、東京・中野区の宝仙寺で営まれた。密葬にもかかわらず、当初予定していた2倍の約200人が参列。最後はノアの百田光雄副社長、歴代タッグパートナー、歴代付け人らに担がれて出棺された。遺影はレスラーの顔ではなく、レーシングスーツ姿の満面の笑み。三沢さんが悲しみに沈む人たちを、元気づけているようだった。法名は釋慈晴(しゃくじはる)。お別れの会は7月4日に東京・ディファ有明で行われることが正式に決まった。

 遺影の中の三沢さんは、最高の笑顔だった。午後0時11分、三沢さんを乗せた霊きゅう車から、惜別のクラクションが鳴り響いた。田上が、秋山が、別の車に乗り込んでいた小橋が、うつむき唇を震わせた。佐々木は手すりにつかまって肩を落とした。しかし、長男康真(しずま)さんが手にしていた遺影は、満面の笑みだった。参列者たちを逆に励まし、勇気づけるような、まぶしい笑顔だった。

 遺影は家族の意向で選定されたという。リングの上の栄光の瞬間でも、社長としての普段のスーツ姿でもない。レーシングスーツを着て、笑っている写真だった。ノア旗揚げ間もない00年に1度だけ参戦した「筑波ナイター耐久レース」を前にした1カット。底抜けに明るい表情だった。選定の理由は明らかにされなかったが、ノアの社長兼トップ選手として、責任を背負い続けてきた。だから最後くらいは解放させてあげたい、という家族の配慮もあったのかもしれない。

 この日の密葬には、前日18日時点で100人ほど出席予定で席を設けていた。しかし実際にはその2倍の参列者が三沢さんのお別れにきた。百田副社長は「現在、ノアのリングに上がっている選手とスタッフ、身近な知人だけと思っていたが、どうしても会いたいという人が多かった。誰にも好かれた社長の人柄を表している」と振り返った。祭壇には三沢さんが生前好んで収集していた、ウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアが20~30体飾られ、棺(ひつぎ)にも納められたという。

 最後は三沢さんがもっとも頼りにし、期待していた9人のレスラーたちに担がれて出棺した。副社長として支えた百田を筆頭に、歴代タッグパートナーの小橋、田上、小川、潮崎、歴代付け人の浅子トレーナー、丸藤、鈴木、太田が、大きな背中を支えた。その周りを駆けつけた約200人の参列者が囲んだ。

 喪主を務めた真由美夫人が親族を代表してあいさつを予定していたが、憔悴(しょうすい)しきっていたため、長女の楓(かえで)さんが代役を務めた。百田副社長は「奥さんはひどく沈んでいた。娘さんは『ご会葬ありがとうございました』『生前父が大変お世話になりました』といった感じで、冷静にあいさつしていた」と明かした。法名は「釋慈晴」。常に周囲を気遣い、明るくする、慈愛に満ちた三沢さんを物語るものだった。

 この日午後3時半、夫人が位牌(いはい)、長女が遺影、長男が遺骨を持って無言の帰宅。最後に自宅に立ち寄った、6月8日の東京・八王子大会後以来11日ぶり。戦いの毎日だった三沢さんが、ようやく安らかに眠った。【高田文太】