<ノア:三沢光晴さん一周忌興行>◇13日◇東京・ディファ有明◇観衆1800人

 ノアの田上明社長(49)が区切りの日に「脱三沢」でさらなる成長を誓った。13日、09年の同日に死去した故三沢光晴さん(享年46)の一周忌大会が東京・ディファ有明で開催された。三沢さんの後を継いで社長に就任した田上社長は「これからはいろんなカラーを取り入れていきたい。出発です」。田上社長の思いを表すかのように、この日は前7試合で三沢さんの技をだれも使わず、1800人の観衆を沸かせた。

 三沢さんが天国に旅立ってから、ちょうど1年が過ぎた。田上社長は「もう1年かって思いはあります。あっという間」と感慨深い表情を見せた。そのうえで「これからは前の三沢ばっかりのカラーじゃなく、いろんなカラーを取り入れていきたい。今日は区切りの試合であり、再出発」と“脱三沢”を口にした。

 09年の三沢さん死去後、ノアは深い悲しみに襲われた。執行部の顔ぶれも代わり、当時29歳の丸藤が副社長に、30歳の選手会長森嶋が取締役になるなど、一気に若返った。それでも絶対的エース不在の穴は大きかったが「下を向かないでやってきた」と森嶋。どうやって盛り上げられるかを、全員で模索してきた。

 1年間の思いの集大成が、区切りの興業で形となった。この日の一周忌興業には、1800人超満員のファンが駆けつけた。入り口に等身大の遺影と献花台が設けられ、第1試合前には、田上社長が遺影を手にリングインし、選手とノア社員がリングを囲んだ。ファンも一緒になり、1分間の黙とう。退場時に三沢さんの入場曲「スパルタンX」が流れると、場内から三沢コールが起こり、紙テープが舞った。だれもが、三沢さんの面影を描いていた。

 だが、その後の展開は想像と違った。全7試合で、タイガードライバーやエメラルドフロウジョンなど、三沢さんの技は見られなかった。それでも、観衆からは大歓声が起こり続けた。

 メーンを務めた丸藤は「気持ちよく戦えました。誰ひとり、三沢さんの技を使わなかった。新たなスタート」と言い残し、控室へ消えた。「脱三沢」を有言実行し、10年で10周年のノアが新たな航海に出発した。