<プロボクシング:WBA世界フライ級タイトルマッチ12回戦>◇27日◇神奈川・とどろきアリーナ

 9位の黒田雅之(26=川崎新田)が、王者フアン・カルロス・レベコ(29=アルゼンチン)に12回、0-3の判定で敗れ、王座奪取はならなかった。黒田はレベコの鋭いパンチを浴びながら、最後まで打ち合ったが、実力差を見せつけられ、初挑戦でベルトを巻くことはできなかった。レベコは3度目の防衛。黒田は21勝(13KO)4敗2分け、レベコは30勝(16KO)1敗となった。

 角度のある王者のパンチが、腹にめり込み、アゴに当たった。黒田はひるまなかった。温厚な男が鬼の形相で王者に立ち向かった。1回から12回まで、打ち合い続けた。実力差は歴然。しかし、黒田のファイトは地元川崎のファンを熱狂させた。戦いが終わって、右まぶたはつぶれ、顔はゆがんでいた。

 3-0の大差の判定を聞いても、黒田の顔は晴れやかだった。「おやじ、世界チャンピオンになれなかった」。入場の花道で、友人から見せられた亡き父、佳彦さん(享年46)の写真。退場する際には、その写真を受け取った。試合ではいたトランクスの尻の部分には「Yoshihiko」の名前をピンク色で入れていた。絶対倒れないことが、父との心の中での約束だった。

 高校1年でジムに入門。当時剣道をやっていたが、背も高くなく細身で体負けすることが多かった。「たまたまテレビを見たら徳山さんの世界戦をやっていた。細い選手でも世界チャンピオンになれると思った」と、ボクシングを始めた。

 オープンしたばかりのジムで会員番号は18番。同じ年に佳彦さんを血液のがんで亡くし、朝6時から3時間、コンビニでアルバイトをしながら、稲城の実家から30分かけて走って通った。全日本新人王、日本ライトフライ級王者と、順調に階段を上がったが、温厚な性格からか、相手とファイトできず伸び悩んでいた。

 そんな黒田を世界挑戦が変えた。メンタルを強化し、試合も先に先に手を出すスタイルに変え、下馬評では「10回やって1回しか勝てない」といわれたレベコと壮絶な打ち合いを演じた。「現時点でこれがボクの実力。でも届かない距離じゃない」と黒田がいえば、新田会長も「世界を取るチャンスはまだまだある」と、師弟コンビで再び世界を目指す。【桝田朗】

 ◆黒田雅之(くろだ・まさゆき)

 1986年(昭61)7月17日、東京都稲城市生まれ。05年5月プロデビュー。06年12月、全日本ライトフライ級新人王、MVP獲得。11年5月に日本ライトフライ級王座を獲得し、4度防衛。167センチの右ボクサーファイター。