大関稀勢の里(30=田子ノ浦)が、かろうじて1敗に踏みとどまった。西前頭4枚目の遠藤に上手出し投げを食らって守勢に回ったが、必死にこらえると、寄って出て小手投げ。勝った瞬間、力強く拳を振るほどの逆転勝ちだった。11日目での単独首位は12年夏場所以来。悲願の初優勝に向けて、横綱鶴竜の休場で再び千秋楽に組まれることが確実な横綱白鵬戦まで、懸命な土俵が続く。

 悲鳴が上がった。支度部屋で食い入るようにテレビを見ていた弟弟子の高安が「危ない!」と叫んでしまうほどだった。上手を先に許し、出し投げを食らった稀勢の里の体が、土俵の外へと向かってしまう。何とか反転するが、体勢は左半身。遠藤のがぶり寄りを食らう。絶体絶命。誰もが万事休すと思った。だが、大関はあきらめなかった。

 左をねじ込んだ。下手をつかみ、右足を俵にかけて踏ん張る。遠藤のがぶりが一瞬止まった。その間隙(かんげき)を突いた。前に出る。寄り返す。右の小手を振って崩すと、もう1度。今度は腕をきめるように絞り上げて放った。勝った瞬間、左足1本で動きを止め、その静止を解くかのごとく珍しく右拳を小さく振った。まるでガッツポーズ。それだけ力が入った。「いろいろありますからね。(攻めは)悪くないんじゃないですか」。薄氷の相撲をモノにした。

 先場所、一気に押し出された遠藤に雪辱し1人、1敗を守った。11日目の単独首位は12年夏場所以来2度目。思えば当時から優勝を期待し、準備にいそしむ人々がいた。地元茨城・牛久駅前にある総合スーパー「イズミヤ牛久店」。これまでテレビを設置し、力士の着ぐるみを着た店員が応援を盛り上げた。勝てば割引セールも実施。だが、今場所はテレビが置かれているだけ。それ以外の姿はなかった。

 「2月1日で閉店してしまうので、その対応で忙しくてできないんです」と、管理する牛久都市開発の関係者が明かした。かつて、イズミヤの上のマンションに住んでいた稀勢の里も少年時代「よく行った」思い出の店舗が、場所後になくなる。そのイズミヤの倉庫には、くす玉が置かれていた。「優勝したら使おうと用意したものです」。12年夏の間に初めてつくられた。古くなって1度だけつくり替えた祝い玉が、最後の晴れ舞台を待っていた。

 最初に単独首位に立った際はすぐ“馬群”にのみ込まれたが、今度は違った。鶴竜の休場で横綱戦は最大の壁、白鵬戦のみとなった。それが吉となるかは自分次第。大一番は確実に千秋楽となる。そこまで星は落とせない。「また明日、集中して。今日は今日で、明日は明日」。試練の4日間を迎える。【今村健人】

 ◆稀勢の里の11日目の単独首位 12年夏場所以来2度目。当時は鶴竜を退けて1敗を守り、2敗だった平幕の栃煌山、玉鷲、宝富士がそろって敗れて2差がついた。しかし、12日目に栃煌山、13日目に横綱白鵬と連敗。栃煌山、旭天鵬に3敗で並ばれると、千秋楽では栃煌山が不戦勝となり旭天鵬も勝ち進んだ中で、把瑠都に上手投げで敗れて優勝を逃した。決定戦で旭天鵬が優勝した。