最近、試写会の入場チェックが極端に厳しいことがある。カメラ、ICレコーダーはもちろん、携帯、パソコンなどの電子機器はことごとく受付預かりとなる。海賊版ビジネスの標的となるハリウッド映画の場合がほとんどで、面倒ではあるが、まあ、仕方がない。言いたくないが「前科」もあるから文句は言えない。

 実は80年代には、しばしばスクリーンの隠し撮りをしていた。薄暗がりの中で、常用していたインスタントカメラをさりげなくスクリーンに向けることがほとんどだったが、写真部からミノックスの超小型カメラを借り、スパイ映画もどきの「盗撮」を行ったこともある。

 狙いは「初ヌードもの」である。70年代初めにスタートした日活ロマンポルノも後半に差し掛かり、「大物女優」の初ヌードでテコ入れがなされたり、他社の一般作品でもそれに類する劇中の裸身が注目された。

 女優さんは「作品の必然性」があって裸になったわけで、そればかりを宣伝のネタにしては欲しくはない。一方で、映画会社にとっては話題作りの切り札である。そして、私たちメディアは初物には目がない。それぞれの思惑が絡み合い、「版権を持つ映画会社黙認の隠し撮り」というグレーな状況が生まれたのだ。

 女優さん側がクレームを付けると、映画会社は「撮影禁止を徹底したつもりなのですが、マスコミが勝手に撮ってしまったんです」と言い訳する。今のようなコンプライアンスの時代ではなくても、法的問題は生じたが、女優さん側にもその辺は追求しないおうようさがあった。

 要は今では考えられないグレーな「二枚舌宣伝」に進んで乗った構図である。格好を付けて、スリリングな書き方をしたが、そこには「なあなあの空気」が漂っていた。

 80年代も中盤に差し掛かると、注目の作品では試写室後方にカメラの三脚が林立することさえあった。建前と本音がここまでいびつな形となった結果、女優さん(つまりは所属事務所)公認の劇中写真のみが配布される(ある意味たいへんまっとうなやり方な)今につながるシステムになったのである。

 米映画「スーパーメンチ 時代をプロデュースした男!」(マイク・マイヤーズ監督、9月24日公開)には、そんなグレーな手法がまかり通った時代のエピソードが満載だ。シェップ・ゴードン(70)はアリス・クーパーを始め、多くのトップ・アーティストのマネジメントを手掛けた人だ。

 大学卒業後、福祉関係の仕事に就くが挫折。たまたま泊まったホテルでジャニス・ジョップリンやジミ・ヘンドリックスと知り合い、彼らの友人でもあったクーパーのマネジメントを引き受ける。

 主催したイベントの取り分を返上する代わりにクーパーの登場順を人気のジミとドアーズの間にねじ込む敏腕ぶりを発揮する一方で、PR手法は文字通りいかがわしい。

 クーパーのバンドを全裸の上に透明のレインコートを着ただけの姿でライブハウスに出演させる。観客のふりをして自ら警察に電話をかけて「事件化」し、話題作りをしようというもくろみだ。ところが、警察が駆けつけた頃には汗でレインコートが曇り、結局おとがめ無しとなって計画は頓挫してしまう。この情けなさをゴードン自らが笑顔で振り返る。

 今や「大物」の彼の告白が自慢話のようにならないのがいい。破天荒な話も言葉の端々に関係者への敬意がにじみ、穏やかな笑顔が謙虚さを醸す。あの時代特有のおおらかさが伝わる。

 懲りないゴードンは「事件化」失敗の後、ホテルの枕を持ち出してライブ会場に羽毛をまき散らす。注目のイベントでは客席にニワトリを投げ込む。興奮した観客がニワトリをバラバラにして投げ返し、クーパーは血まみれに…。

 低予算で乱暴なPR戦術だが、クーパーの奇行はタブロイド紙の一面を飾り、いつの間にかトップアーティストの仲間入りを果たしてしまう。そんなゴードンとクーパーは今でも親友で、挿入されるゴルフを楽しむ光景がほほ笑ましい。

 ゴードン自身、一時はシャロン・ストーンと恋人関係となり、ダライ・ラマとも親交を結ぶ。オットセイのような独特の笑い声で、とにかく憎めない人なのだ。ピンチの友人の相談に乗り、血のつながらない元恋人の子どもたちを養育する。「カリスマ・シェフ」ブームの仕掛け人としても知られるが、出発点は腕のいいシェフが過小評価されていたことに対する義憤だ。

 コンプライアンスの時代に「なあなあ手法」が通用しないことはわかっていても、究極の人たらしぶりはやはり魅力的だ。【相原斎】