メッセンジャー黒田(45)の母、和子さんの通夜が1日、大阪市阿倍野区の大阪市立やすらぎ天空館で行われ、黒田が“芸人顔負けの母伝説”を明かした。

 和子さんは32年生まれ。離婚後は末っ子の黒田を含む4兄弟を1人で育てた。貧乏暮らしで、黒田はその極貧ぶりをテレビでネタにし、和子さん自身がテレビ出演したこともあった。

 「もう、子どものころから(母子)ケンカばかりで、なにせ、オカンは希代のクレーマーやった」

 東大阪市の自宅最寄り駅は、近鉄の河内花園駅で、特急は止まらなかった。

 「オカンは、近鉄の社長に電話して『私が住んでるんや。特急止まるようにして』言うて、電話かけたぐらいやから…。近所の店ともようケンカして、その店は風評被害で、たいていつぶれたもんですわ」

 黒田にとって、鮮烈なオカンの思い出だ。黒田自身とも「ケンカばかりやった」そうで、今年の正月にも口げんかしていた。

 それでも、裏表のない和子さんの性格は友人をひきつけたようで、4~5年前に足を悪くしたものの、友人は多く、カラオケや飲食に出掛けていたという。

 数年前、黒田の長兄が自らが住む奈良へ転居しての同居を提案したが、友人関係を優先した和子さんは拒否。1人暮らしを選んだ。

 豪快さと、その裏にある友人思いの母の人柄は、そのまま黒田の毒を含んだ愛嬌(あいきょう)ある芸風に引き継がれたようで、「そうですね。オカンの血を継いでるかもしれません」とも漏らした。

 ケンカが絶えなかった母子関係だったが、黒田は親孝行も果たしていた。遺影に選んだ写真は2年前、北海道旅行へ行った際のもので「小樽へ2泊、プライベートで。そんとき、メロン食べてる写真ですわ」と言い、定期的に旅行に連れて出掛けたという。

 その和子さんは4月30日朝、東大阪市内の自宅で倒れ、急性心不全のため、83歳で亡くなった。同日午前、ヘルパーが風呂場で倒れている和子さんを見つけ、病院へ運んだが、意識は戻らなかった。心筋梗塞だったという。

 黒田は2日前にも電話で話しており「兆候なんて、まったくなかった」。急死にぼうぜんとしつつも、前日とこの日はちょうどオフで「昔は“息子不孝”なオカンやと思ってたけど、迷惑もかけずにいって、息子孝行やったと思います」と話していた。

 通夜には西川きよし、ハイヒール・モモコ、ロザンの菅ら芸人仲間や、和子さんの友人、約400人が参列した。

 告別式は2日午前10時30分から、同所で。喪主は故人の長男、黒田忠(くろだ・ただし)さん。