ゴールデンウイーク真っ最中。記者にとっては、先月末から今月にかけては“レジェンドウイーク”だった。

 先月末に沖縄で開催された「島ぜんぶでおーきな祭 沖縄国際映画祭」でアイドル界のレジェンド南野陽子(49)のフィルムコンサートを取材した。南野の35周年記念コンサートのDVDを、でっかいスクリーンに映し出して、藤井隆らのお笑い芸人たちや南野自身が、あれこれしゃべるイベントだ。

 今から27年前、TBSの連続ドラマ「芸能社会」のインドネシアロケの取材に行った。時任三郎演じる芸能マネジャーが、南の国で南野と出会い、女優としての才能を認め、そして恋に落ちる…みたいな筋書きだった。そして、ヒロインの南野の話を、食事をしながら取材陣で聞いた。当時、南野はバリバリのアイドル。十把ひとからげではなく、ピンのアイドルとして人気を誇っていた。

 そして取材陣は、なぜか年配記者ばかり。若者は(当時の)記者と、実直をセールスポイントにした同業他社の記者と2人だけ。自然と隣に座って、あれこれと聞くはめになった。某プロレスラーとの交際報道を例に挙げて、「交際してもないのに同席したのを見られただけで、熱愛って書かれちゃうのは、なぜ?」などと、逆にこちらが質問攻めにあった。「それが有名税っていうもの。書かれなくなったらお終い」などと偉そうに答えていた。そして、当時23歳の誕生日を控えていた南野に「以前から23歳までに結婚したいと言ってましたが」などと質問したのを覚えている。

 30年近くたった今でも、女優に聞いていることは同じ。われながらあきれかえる…などと思いながら、南野のトークを聞いていた。最後に88年のヒット曲「吐息でネット」を南野が生歌で披露。南野とファンとともに、サビの♪吐息~で ネット というのを唱和した。「ネット」というものが表現する世界も、インターネットがなかった当時とは、全然違うものになっている。当時は、お笑いの原稿で「なんの、なんの、南野陽子…」という慣用句を何回、使っただろうか(笑い)。

 そして、その夜は72年にちあきなおみの「喝采」、82年に細川たかしの「北酒場」で2回、日本レコード大賞を受賞した、作曲家界のレジェンド中村泰士氏に話を聞いた。今のように、いろいろな曲がヒットする時代と異なり、当時はレコード大賞の曲となれば、間違いなく、その年を代表するヒット曲だった。

 「喝采」がヒットした72年は小学校5年生。学校から帰宅して、毎日8時間は勉強するという、今では信じられない生活を送っていたのだが、当時のことははっきりと覚えている。あの年は小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が大ヒット。歌謡大賞を受賞して、レコード大賞も本命と見られていた。ところが9月に発売された「喝采」が、あれよあれよという間に大ヒット。逆転でレコード大賞に輝いた。

 あと、中村氏といえば、日本テレビ系「スター誕生」の審査員。全国の予選を勝ち抜いてきたスターの予備軍に駄目出し、アドバイスを送る姿を“ブラウン管で”毎週日曜日の昼間に見ていた。「喝采」でレコード大賞を受賞した翌73年に中村氏は、同番組出身で花の中3トリオといわれたうちの1人の桜田淳子のデビュー曲「天使も夢みる」を手掛けている。

 実は、中村氏に“話を聞いた”と書いたが、実際にはこちらが一方的にしゃべくりたおして、子供の頃の思い出をはき出させてもらった。おかげで、マネジャー女史から「中村泰士公認語り部」という、わが人生で最も偉大な肩書をいただきました(笑い)。

 そして、ポール・マッカートニー(74)の東京ドームコンサート。もの心ついた時は、ビートルズは解散。ビートルズよりストーンズ、それより沢田研二、グラム・ロックという思春期を送っていたのだが、とりあえずレジェンドのコンサートは身銭を切っても行かなくては、と。

 ジョン・レノンは80年、ジョージ・ハリスンは01年に亡くなっているのに、70代半場にして30曲を歌いきる音楽界のレジェンドの迫力に圧倒された。そして、自分の中ではポールと言えば、やはり05年に63歳で亡くなったポール牧師匠なんだと痛感した。

 93年に元フジテレビでフリーで活躍してた逸見政孝アナウンサー(享年48)で亡くなった時の強烈な思い出だ。亡くなった東京女子医大で取材を終え、原稿を書くために隣にあったフジテレビに戻ってきた時に、駐車場でポール師匠とバッタリ。お悔やみのコメントをお願いして、写真を撮らせてもらった。ポール師匠が取ったポーズは「追悼の指パッチン」。当時はフィルムの時代で、現像するまではちゃんと写真が撮れているか確認できない。よってフィルム1本分、36回の「追悼の指パッチン」を披露してくれた。悲しいんだけど、おかしくてしょうがない。そんな、お笑い界のレジェンドだった。

 そして1日には、90歳で亡くなった浅草ロック座の斉藤智恵子会長のお通夜の取材に行った。ビートたけしが来るからと取材陣が押しかけたのだが、記者にとっては斉藤会長との関わりは田口ゆかり(58)だ。80年代に「裏ビデオの女王」「裏本の女王」と呼ばれた、AV女優の田口ゆかりが92年に覚せい剤所持容疑で逮捕された時だ。ロック座にストリッパーとして出演させて、面倒を見ていた。勝新太郎、山城新伍さんなどの後援者としても知られて、「会長」「ママ」と親しまれたレジェンドだった。

 本来だったらセクシー界のレジェンドたる田口ゆかりも、最近はどうしているのだろうか。天寿を全うした人、今なお活躍する人などレジェンドもさまざまだ。