今月23日に膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった大手芸能事務所サンミュージックプロダクションの創始者で会長の相沢秀禎(ひでよし)さん(享年83)の通夜が、28日、東京・港区の青山葬儀所で営まれ、芸能関係者、タレントら約1500人が参列した。かつて同事務所に所属し、実の娘のようにかわいがられた桜田淳子(55)松田聖子(51)酒井法子(42)らも、“父”に別れのあいさつをした。葬儀、告別式は29日午前11時から同所で。

 相沢さんのもとを去った3人の娘たちも、“父”の遺影に手を合わせた。

 桜田は午後7時20分過ぎ、一般参列者が焼香を済ませるころに到着した。取材陣の前に姿を見せたのは、96年末の統一教会(世界基督教統一神霊協会)の集会以来。3児の母になり、17年前よりふっくらし、カメラを避けるように髪と手で顔を隠すようにしていたが、眼鏡の奥が潤んでいた。

 桜田は92年に、統一教会の合同結婚式で結婚。統一教会と霊感商法とのかかわりが取りざたされたこともあり、事務所を契約解除になった。しかし、相沢さんは桜田のことをずっと気に掛けていた。関係者によると、2人は手紙のやりとりを続け、桜田が06年にエッセーを出版した際に再会。昨年11月、相沢さんに膵臓がんが見つかって以降、見舞うことはかなわなかったが、手紙を送り合っていた。相沢さんの望みだった教会脱会には応じず、芸能活動も再開していないが、その絆は続いた。この日、桜田は約1時間滞在。時間をかけて相沢さんと対面できたからか、ホッとした表情で車に乗り込んだ。

 聖子は泣き通しだった。18歳で福岡から上京し、相沢さんの自宅に同居して芸能活動を続けた。ともに食事をし、社会人としてのマナーや礼儀を教わった。桜田同様に事務所を離れた後も交流継続。先週も病室を訪れていたが、ひつぎの中の相沢さんに対面したとたんに顔をゆがめ、ハンカチを口に当てた。相沢さんの妻てるさんも、聖子の姿を見て涙をこらえきれなかった。参列後、聖子は「ありがとうございましたと伝えました」とだけ言い残し、会場を後にした。

 酒井も相沢さんの自宅で同居して芸能活動を始めた。しかし、09年に覚せい剤取締法違反で起訴され、相沢さんを悲しませた。「自分勝手をして迷惑を掛けてしまいましたが、温かく見守ってくれました。いつかお会いしたら『一生懸命生きてきました』と言えるように生きていきたい」と涙ながらに誓った。解雇された立場を鑑みて病室を訪れなかったが、約2週間前に手紙を送っていた。

 この日、相沢さんを乗せた車は、東京・四谷のサンミュージック前を通って葬儀所入りした。タレント、社員を愛し抜き、また、愛された相沢さんの戒名は「幸響院讃誉秀偉浄楽清居士(こうきょういんさんよしゅういじょうらくせいこじ)」。音楽の響きで人々を幸せにしたという意味が込められた。遺影は09年に会長室で撮影された。いつものようにほほ笑んでいる写真だ。【小林千穂】

 ◆桜田淳子の統一教会入信騒動

 霊感商法などで社会的批判を浴びていた統一教会に19歳から入信し、92年6月30日、教祖が指名した相手と結婚するソウルでの合同結婚式(同年8月)に参加することを表明。会社役員と結婚した。相沢さんは「脱会して芸能活動を再開して」と訴えたが、相沢さんにも教会関連団体が販売する壺(つぼ)を売りつけていたのではとの報道もあり、芸能活動休止状態に。結婚後は3人の子供を出産。信仰を続ける一方、06年には沈黙を破ってエッセー集を発表。騒動には触れなかった。