日本のトップを率いた監督がバイトに奮闘-。バレーボール女子のV・チャレンジリーグ1仙台ベルフィーユ(宮城)の葛和伸元(のぶちか)監督(60)が、仙台市内のうどん店にアルバイトとして勤務している。練習前の空いた時間を利用し、4月から働き始めた。うどんをゆで、どんぶりに盛り付けてお客に提供する。97~00年まで全日本女子を指揮した監督がアルバイトとは珍しいが、新しい発見もあった。

 「きつね、いただきました」。地下鉄南北線泉中央駅前のショッピングセンター、アリオ仙台泉。1階にある讃岐うどん店「さぬき麺屋」に、注文を受けた葛和監督の声が響く。そこには試合や練習で選手を叱咤(しった)する姿はない。

 始めたきっかけを「暇だから」と大きく笑った。仙台ベルフィーユの選手はスポンサー先などに勤務し、平日の練習は午後3時や夕方から始まる。昨季から指揮する葛和監督は「午前中、何もすることがない。バレー以外でできることがないものか」と考え「まともに働いたことがない」とも言った。これまで1カ月間の短期のアルバイト経験はあったが、既に還暦の60歳。新しい挑戦だった。

 法大卒業後、日本電気(現NEC)でプレー。生活は競技中心で、それは指導者になっても変わらなかった。店長の高橋文江さん(51)は「別の自分を発見したくて、と言ってました」と面接時のやりとりを明かした。ツアーバスの添乗員、お好み焼き店、コーヒーチェーン店に応募したが、60歳がネックになった。仕事探しの苦労も味わった。

 現在の勤務は週1日、午前10時から3時間。時給750円で1日2000円を超える程度だ。お金が大きな目的ではない。

 「アルバイトで生計を立てている人もいる。本当に苦労している人が多い。好きでもないことをやっている人は偉い」。学生、主婦らと働くことで世の中の現実が見えてきた。指導者にとって少なからず好影響があるからこそ、選手に訴える。「好きなこと(バレー)をやって頑張れるんだから。苦しいことは幸せなんだよ」。

 始めて間もないころは、不慣れな作業に40歳年下の20歳の学生スタッフに怒られた。今では調理、接客に慣れてきた。立ち仕事に「腰が痛くなる」と笑うが、葛和監督に気付くお客もいる。「あと人生20年(笑い)。やってないことをやりたい。しばらくは続けるよ」。そう話す目は輝いていた。【久野朗】

 ◆葛和伸元(くずわ・のぶちか)1955年(昭30)1月6日、大阪府羽曳野市生まれ。中学からバレーを始め大商大付(現大商大高)では2、3年時に全国高校総体連覇。法大から日本電気(現NEC)に進み、主にレシーバー。30歳まで選手で活躍後、日本電気女子コーチ、監督に。97~00年の全日本女子指揮後は、NEC、トヨタ車体と女子チームを率いてきた。家族は夫人と2男、2人の孫がいる。現在は仙台市内で単身赴任。