阪神対日本ハム 9回裏阪神2死二、三塁、中前にサヨナラ適時打を放ちガッツポーズする原口(撮影・上田博志)
阪神対日本ハム 9回裏阪神2死二、三塁、中前にサヨナラ適時打を放ちガッツポーズする原口(撮影・上田博志)

<日本生命セ・パ交流戦:阪神4-3日本ハム>◇9日◇甲子園

あの日とは、また違った涙だった。大病を越えて、シンデレラボーイが帰ってきた。阪神原口がサヨナラ打を放った瞬間、甲子園は泣いた。

「みんな、ただいま!(気分は)最高です!」

お立ち台で声を張り上げる。その姿はデビュー当時の“あのころ”と全く同じだった。16年4月27日の巨人戦(甲子園)。育成選手だった原口は3年ぶりに支配下選手登録され、1軍へ。緊急昇格だったため、背番号94のユニホームは間に合わず、山田勝彦2軍バッテリーコーチ(背番号82)のユニホームを借りて試合に出場した。

原口が1軍合流した今月4日、鳴尾浜で山田コーチが懐かしんだ。「もちろん、覚えてるよ。支配下(選手)になるとき、1軍に(原口が)いきなり欲しいと言われてね。それでユニホームが間に合わないから、サイズも合うし、俺のユニホームで。あのとき、話題にもなったし、活躍してくれてうれしかったね」。

今季も退院後は、山田コーチと1軍復帰を目指してきた。「退院してすぐは、体力が全然なかった。でも、表情は全く変わりない。だから全体練習に入らずに、自分で1度は調整してみようと。そこからペースをあげてね」。最初は外野グラウンドでのウオーキングから始まり、次第に回復。送球練習で受ける原口のボールは次第に強くなった。

「あいつは育成選手を経験したり、今までも、かなり苦労している。そこから上がって来ているから。野球人だけじゃなくていろいろな人に勇気を与えられる存在だと思う。普通の精神力ではできないよ。彼は特別。でも運だけじゃないよ、あいつは…」。

一瞬のために準備を欠かさない。試合に出られなくても、ベンチではペンを持ち細かくメモを取る。試合で打てなければ、他選手が帰路に就く中、ひたすらマシン打撃を行う。どの行動もプロとしてのかがみだ。

借りたユニホームで出発した思い出の地で、原口はまた新たなスタートを切った。一時は腰痛や右肩脱臼の影響で育成契約へ。ケガを乗り越え、今回は病気にも負けず…。何度も新しいスタートを切った。信ずれば道は開ける。今回、原口の活躍に喜ぶのは野球ファンだけでない。闘病患者にも勇気を与える。

「生きて野球をやれる意味があると思うので、これからさらに頑張っていきたいと思います」

どんな境遇に置かれても、決して諦めない。それは勝負ごとでも、人生でも。スタートラインは何度だって引ける。必死に頑張る原口が、そう教えてくれる。【阪神担当=真柴健】

育成から支配下登録された原口は、ユニホームが間に合わず山田コーチのものを借りて出場(2016年4月27日)
育成から支配下登録された原口は、ユニホームが間に合わず山田コーチのものを借りて出場(2016年4月27日)