27歳の左腕が「二刀流」の扉を開いた。沖縄・国頭での秋季キャンプ。上原健太が、投打「二刀流」の挑戦をスタートさせた。15年のドラ1は、来季で7年目。出場機会を求めて決断した。フリー打撃後には「差し込まれました?」とニヤリとされたが、どこかでこの日がやってくることを待っていた。

身長191センチ、体重90キロと目を引く体つき。打者としての素質の高さを秘めていた。キャンプ恒例の坂道ダッシュではチーム全体でも上位常連組。瞬発系メニューでは、野手陣を抑えてトップに立つことは普通だった。若手野手が「上原さん、何秒でした!?」と色めき立つほど、身体能力はずばぬけていた。

度肝を抜くプロ初アーチだった。18年6月18日の広島戦。福井のフォークを、マツダスタジアムの右翼席中段へ運んだ。「大まぐれです。あの日は調子が良すぎました」と謙遜したが、偶然とは思えないほど可能性を秘めた弾道だった。試合後、栗山前監督に「二刀流の資料を、また引っ張り出します」と言わしめた。

栗山前監督は、ドラフト指名時から二刀流の可能性に言及していた。今年10月の退任会見では球団に最後のお願いとして“二刀流枠”を提案。新庄監督による新体制となり、現実になった。上原は「発案者は栗山さんだと思う。二刀流をやらせる方にも責任はあるはず。結果で応えてからが、二刀流のスタートになるのかなと思います」。

満を持して始まった投打での練習後。手のひらのあちこちでまめが破れていた。「白村(明弘)さんが野手に転向したときに手がボロボロになっているのを見て、絶対に野手はやりたくないと思っていたんですよ。絶対に嫌だと思っていたけど…。同じようなことになりそうな気がしています」。投打を当たり前のようにこなしていた野球少年のように、無邪気に笑っていた。【日本ハム担当 田中彩友美】