南海の主砲として活躍し、本塁打王3度、打点王2度の門田博光さんが亡くなった。門田さんに聞きそこなった質問がある。「あのホームラン、狙って打ったんでしょう?」と。1990年(平2)6月13日、仙台(現楽天生命パーク)でのロッテ-オリックス戦だ。同年は序盤戦で独走していた西武が失速し、オリックスが猛追していた。この夜の記者席には、西武が苦戦との一報が届いていた。オリックスが勝てば首位に0・5差に迫るという、重要な一戦だった。

0-1のビハインドで迎えた7回表。2死一塁で、門田さんが打席に向かったときのことだ。バックネット裏で、小学校低学年くらいの2人の子どもから「門田~、打ってくれ~」と声援が飛んだ。当時は地方球場だった仙台球場で2人の声は実によく通った。その方向に優しい笑顔を向けた門田さんは「ウン、ウン」と2度うなずいた。カウント1-1から門田さんは、鬼気迫る表情で一振。右翼席へ逆転2ランを突き刺した。ホームベースに戻ってくると、狂喜乱舞する先ほどの子供たちに向かい、また2度「ウン、ウン」とうなずいてベンチへと消えた。

試合はこの後、ロッテ愛甲猛の逆転サヨナラ3ランが飛び出しチームは敗れた。当時、入社2年目。九分九厘決まっていた記者人生初の1面原稿は吹き飛び、記事は5面へと格下げとなった。子どもたちに、その表情で語った“予告ホームラン”の場面から書き出そうと決めていた70行の原稿は、幻と終わってしまった。

門田さんは全打席で本塁打を狙っていた。打球の飛距離もさることながら、内野フライにも魅了された。ボールの下をこすっただけでも夜空へ高々と上がり、視界から完全に消え去り、いつまでたっても落ちてこない。あんな怪力の持ち主は、後にも先にも見たことがない。徹底したアーチ狙いの姿勢は、生で接したからこそうかがい知ることができた。

さて、33年前の仙台での本塁打である。幼い2人の期待に応えようと、門田さんは狙って打ったのだろうか。長らく気になっていたことだが、この原稿を書くうちに後悔の念は消えていった。聞くだけヤボというものだ。門田さんは天国から、あのカン高い声でこう苦笑するに違いない。

「今ごろ何を言うてんねんな。狙って打ったに決まってるやろ。アホやなー」

【高野勲】(89~90年オリックス担当)